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1996年5月9日,ラッサ熱の疑いで14名の死者がでたケネマおよびその周辺都市での流行調査のため保健省とWHOのチームが派遣された。迅速な調査により東部地域のケネマ地区(主にトンゴ,パングマ,セグエマ)において1月1日〜5月10日に76名の疑似患者が出,うち46名の死亡を確認した。大多数の患者は成人女性であり,妊婦はすべて流産となり,そのほとんどが死亡した。今回の流行は,ラッサ熱が地域的に存在している場所であり,かつ流行地でのラットの数が前例のない増加を示したことと一致している。コントロール活動のため特別な実践部隊が編成された。ケネマの病院では安全な看護病棟を欠くため,政府系の病院において患者処置のため24ベッドを有する隔離病棟が用意された。採取された血液サンプルが検査のためCDC特殊病原体WHO共同利用施設に送られた。
1996年5月28日までに,さらに10名の疑似患者,1名の死亡があったとケネマから報告があった。ケネマのノンゴワの診療所で隔離看護が導入され,10名中6名にリハビリン療法が開始された。共同作業案が作製され,保健省,WHOおよびラッサ熱プロジェクトにより流行をコントロールするためのチームが結成された。CDCのWHO特殊病原体共同利用施設は,先週12名の患者から得られた20検体中9検体にラッサ熱病原体を確認した。
(WHO,WER,71,No.21&22,1996)
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