自然界のあらゆる場所に生息している真菌。その種類は数万とも数十万とも言われている。大多数はヒトや動物に対して無害であるが、 一部の菌種は真菌症、 アレルギーまたは毒素性中毒の原因菌として医学上重要視されている。真菌症の原因となる病原真菌は接合菌類、 子嚢菌類、 担子菌類、 不完全菌類のいずれかに分類される。臨床的には感染部位によって表在性真菌症と深在性真菌症に分けられる。表在性真菌症は表皮、 毛髪、 爪などに感染する真菌症で、 四肢の白癬は皮膚糸状菌の仲間である白癬菌によって引き起こされる代表的な表在性真菌症である。感染力が強く、 人から人へまた動物から人へ感染するが、 死を招くような重篤な感染症にはならないので、 これまでそれほど大きな関心が払われることはなかった。皮膚糸状菌の分類学および疫学的研究は皮膚科領域でかなり詳しく行われており、 治療のための有効な外用・内用抗真菌薬がある。しかし、 完全に除菌するまで根気よく治療を続けなければならないのは周知の通りである。
一方、 深在性真菌症は、 別名内臓真菌症ともいわれるように、 全身の臓器や組織が真菌で侵される感染症のことである。その多くは癌や骨髄・臓器移植に伴う処置によって、 あるいはAIDSなど感染防御能の低下した患者を中心に多発している日和見感染症であり、 高度医療の普及と人口の高齢化に伴い今後ますます増えることが予想される(図1)。日和見感染型の深在性真菌症は臨床上大変やっかいな問題である。高頻度に見られるカンジダ症、 アスペルギルス症、 クリプトコッカス症の他に、 接合菌症やトリコスポロン症など様様な菌種による真菌症が発生している(表1)。これに加えて近年、 輸入真菌症と呼ばれる深在性真菌症を警戒しなければならない事態が生じている。この一群の真菌症は国内にはなく、 海外で感染し帰国後に発症するもので、 輸入真菌症の症例はすでに多数報告されている。国際交流がますます盛んになるにつれ、 外から持ち込まれる可能性が一層高くなる感染症である。この中には、 致命率の高いコクシジオイデス症を始め、 ヒストプラスマ症やパラコクシジオイデス症などが含まれる。具体的な事例として、 本号4ページおよび本月報Vol.23、 No.2、 p.12に関連記事がある。深在性真菌症は、 早期に診断し、 適切な治療を行えば重篤にならずにすむが、 実際には診断・治療・予防が困難なのが実状である。
1999(平成11)年4月に施行された「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(感染症法)においてコクシジオイデス症が全数把握の4類感染症に規定された。真菌症の研究の重要性と必要性が改めて認識され、 2000(平成12)年度から国立感染症研究所を中心にして、 厚生科学研究費−新興・再興感染症研究事業「輸入真菌症等真菌症の診断・治療法の開発と発生動向調査に関する研究」の班研究が開始された。
真菌感染症においては一般に培養検査による診断が困難なものが多く、 血清学的診断法や遺伝子診断法などの迅速かつ高感度の診断法の開発が待たれている。特にPCR法による遺伝子診断とDNAプローブを用いた分離菌の同定は今後の開発の中心となることが予想されるが、 これらのシステムがすべての病原真菌に適用されるには、 プローブの選択や反応条件設定などまだ多くの研究課題が残されている。真菌の病原性発現に関る分子メカニズムや生体との相互作用についてもほとんど未解明である。また深在性真菌症に対する有効な抗真菌剤の種類は極めて少なく、 現在頻用されているアンホテリシンBあるいはフルコナゾールなどのアゾール系抗真菌剤は安全性や有効性の点で限界がある。さらに耐性菌の出現によって真菌感染症の治療が将来一層困難になることが危惧されている。このように真菌感染症に対する適切な対応策が緊急の課題となっているにもかかわらず、 それを支える基礎研究は細菌やウイルス感染のそれらに比べて脆弱といわざるをえない。以上の背景に基づき、 当研究班はわが国の輸入真菌症および深在性真菌症患者の発生動向のサーベイランスを行うとともに、 レファレンスシステムの確立を目指し、 新しい遺伝子診断法の開発、 真菌の感染成立に関る分子機構や薬剤耐性機構の解明、 および有効な治療法と新しい抗真菌剤の開発につながる基礎研究を活動の主な目的としている。
真菌症班研究の一環として、 全国の概ね500床以上の一般病院508施設にアンケートを依頼し、 感染症担当医を対象にして臨床現場では深在性真菌症および輸入真菌症をどのように意識しているのか、 真菌症にどう対応し、 どのような問題を抱えているのかなどを調査した(Jpn. J. Antibiotics, 54, 448-472, 2001)。253の施設334名の医師から以下のような回答が得られた。深在性真菌症の診断・治療経験について尋ねたところ、 カンジダ症については86%の医師が経験ありと答え、 アスペルギルス症は68%、 クリプトコッカス症は53%であった。ムーコル症とトリコスポロン症についてはいずれも20%の医師が経験していた。一方、 コクシジオイデス症、 ヒストプラスマ症などの輸入真菌症について経験ありと回答した医師は若干名にすぎなかった。コクシジオイデス症が感染症法の全数把握の4類感染症に含まれ、 保健所への届け出義務があることを知っていた回答者は47%であった。したがって、 過半数の医師達がこの事実を知らないということになる。ところで、 コクシジオイデス症を除く他の輸入真菌症は、 現在のところ感染症法に規定されていないが、 これまで国内で報告されたヒストプラスマ症患者の死亡率はAIDSなどの基礎疾患を有していた症例が多かったため23%と、 コクシジオイデス症のそれ(7.4%)よりも高く、 また、 原因菌が国内に生息している可能性も示唆されている(上記研究班平成12年度報告書)。したがって、 今後はヒストプラスマ症も含めたより広範は輸入真菌症に対する監視耐性の整備が必要であり、 これら感染症の診断法の開発と普及も必要である。
真菌症の診断法については、 臨床症状の他に培養、 鏡検、 血清検査を診断基準としているところが最も多かったが、 その他に抗菌剤不応答性、 画像、 病理組織検査などを判断の基準として用いている医師が多く、 真菌症の診断がいかに困難であるかを反映する結果が得られた。遺伝子検査を実施しているところはまだ少なく、 これには装置や手技、 システムの確立の他に保険適用の問題もからみ、 一般に普及するまでにはまだ時間がかかるであろう。
真菌症の情報入手先としては、 感染症の教科書、 専門誌、 検査室、 製薬メーカー、 他の医師などであった。「検査室」を情報入手先とする割合が予想に反して少なかったが、 医師と検査室との密接なコミュニケーションが感染症対策には何よりも大切であると考える。また、 感染症の教科書という回答が多いにもかかわらず、 わが国を代表する最新の感染症に関する教科書や手引書の中には真菌症の記述がないものがあり、 真菌感染症の重要性が専門家の間においてもまだ充分に認識されていないことを実感した。
最後に、 臨床現場で医師が最も必要としている情報は診断法であり、 ついで治療法であった。インターネットを情報入手先に挙げた回答はまだ少ないが、 今後は深在性真菌症に関するホームページの拡充を図るなどして、 臨床家にとって利用しやすく有用な情報を提供できる方法を確立する必要がある。そのために今回の調査結果が有効に生かされるよう、 合理的対策の提案、 普及をめざしていきたいと考えている。なお、 上記の意識調査とともに行ったわが国の真菌血症ならびにアスペルギルス症の発生動向に関するアンケート調査結果については現在解析中であり、 機会をあらためて紹介したい。
国立感染症研究所生物活性物質部 新見昌一 上原至雅