施設内での赤痢アメーバ症の集団感染の事例は、 わが国では1987年に神奈川県の知的障害者施設において初めて見出された(Nagakura et al., 1989 )。この事例では肝膿瘍などの発症例が見出され、 重要な問題を提起した。それ以来、 施設での発症例は散発的に報告されていたが、 1997年には大阪市で、 1999年には静岡県で同様の知的障害者施設から感染率などについてのデータが報告されている。しかし実際には報告されていない事例も多くあるものと思われる。これまで筆者らの調査によって、 知的障害者に限らず、 痴呆老人や精神病患者のための療養施設利用者に散発的な感染事例も見られていることから、 潜在的な感染も多く存在するものと推測できる。加えて、 このような施設において行われる定期的な感染症のモニターでは、 検査対象として赤痢アメーバ(Entamoeba histolytica )が含まれることは稀で、 施設におけるE. histolytica 感染の正確な状況の把握はかなり難しい局面にあるといわざるを得ない。
筆者らはここ数年厚生科学研究班の研究の一環として、 精神病院1施設と知的障害者施設を対象とした施設内集団感染の実態調査を行ってきた。そこでは虫体の形態学的検査、 特異抗原検出、 特異抗体検出などの手法を用い、 現況を明らかにしようと試みている。併せて、 臨床的な特徴と分離アメーバ株の性状の特徴についても検索を行った。
これまでのべ十数施設の調査を行ったが、 初回の検査データがまとまっている6施設7グループの結果を以下に記載する。ELISA法によるE. histolytica 抗体陽性率は平均で31%(151/484)であった。顕微鏡的な糞便検査での嚢子(シスト)陽性者は9.7%(40/412)で、 これに特異抗原検出キット(E. histolytica II, TechLab ;診断用試薬として未承認)による抗原陽性者を加えると14%(56/412)の陽性率に達した。この検査結果は施設によってかなりの変動があり、 例えば上記対象施設のうち、 施設AとYではELISA法によりそれぞれ53%(54/101)と67%(51/76)、 抗原検出結果を併せた糞便検査でもそれぞれ28%(29/101)と28%(21/76)が陽性と判断され、 極めて高い陽性率を示した。一方、 臨床的な検索では施設間での発症者数に差が見られ、 施設Aでは血清反応あるいは抗原検出を含む糞便検査のいずれかの陽性者(63名)において、 E. histolytica によると考えられる腹痛、 下痢、 粘血便などの有症候者に該当するものはいなかった。また、 ELISA法によるOD値でみた陽性者の抗体価は低いレベルに分布し、 ゲル内沈降反応では陽性者は検出されなかった。施設Yでは血清反応陽性者37名中3名(8.1%)がアメーバ性大腸炎として近傍の医療機関で診断され、 治療を受けている。他の2施設KとFでもそれぞれ血清反応陽性者15名中4名(肝膿瘍1例、 大腸炎3例、 うち1例の腹膜炎による死亡例を含む)(27%)と、 8名中の1名(肝膿瘍1例)(13%)がinvasive amebiasisと判定されていた。いずれにせよ、 感染率の高さ、 特に特異抗原検出を含む糞便検査結果からすれば、 発症者は予想に反して少ないものであった。
最近、 E. histolytica 分離株の遺伝子(chitinase, serine-rich protein, Locus 1ー2, Locus 5ー6)の多型性の解析技術が研究班に属する国立感染症研究所寄生動物部・野崎らによって開発され、 施設内感染の背景の解析に用いられている(Haghighi et al., 2002 および本号7ページ参照)。野崎らは上記施設のうちの4施設から分離されたE. histolytica と1987年に集団感染が起こった神奈川の施設から分離された株の比較を試みた。その結果、 今回対象とした4施設中の施設FとYから分離された株は神奈川から分離された株と遺伝子多型性のパターンが一致した。また、 4施設について施設ごとに分離株を比較してみると、 同一施設内では同一の遺伝子パターンであった。すなわち、 施設では恐らく一人の患者から徐々に施設全体に感染が拡大して行くものと思われた。このことは今後の感染予防対策の実施に際して重要である。1987年の神奈川県の事例でも感染者は同一の部屋に集中していたという傾向がみられている。興味あることに、 施設KとAの分離株は遺伝的に独立しており、 両施設間で発症率に差(27%と0%)がみられたことは注目される。この方向の研究の重要性は明らかで、 今後解析手法の改良とともに、 調査範囲も拡大されてしかるべきと思われる。
赤痢アメーバ症はシストが糞口感染することにより成立することから、 適切な便処理や手洗いにより感染予防が可能な感染症である。その一方で、 便弄癖のある利用者を抱えるような施設においてはいったんE. histolytica の感染が起きると容易に集団感染が成立してしまう。従って、 職員などに対する教育と施設内における感染予防のための衛生対策の実施は極めて重要となる。このような施設での感染予防策立案のガイドライン作成も我々の調査の重要な目的のひとつである。我々は院内感染に対する対策システムの開発に関する厚生科学研究の一環としてガイドラインを作成した。さらに、 本研究協力施設でのテストランをもとに、 より実践的なガイドラインを作成している(竹内他、 2002、 印刷中)。
わが国ではE. histolytica と形態学的な鑑別が困難な非病原性のE. dispar の施設での流行がほとんど見られず、 病原性のE. histolytica の感染が主体であることも深刻な問題点のひとつとなっている。診断上の問題点としては、 E. histolytica の感染が見過ごされやすい点があげられる。この背景には施設Aのように無症候者が多く見られることに加え、 検査の時点でE. histolytica 感染者が必ずしもシスト陽性、 血清抗体陽性とならないことがあって、 感染の実態の正確な把握が必ずしも容易ではないこと、 また化学療法剤によりE. histolytica 陽性者を治療した場合でもフォローアップが十分なされなかった場合、 治療に失敗した感染者を見落とすことも往々にして起こり得ること、 などがあげられる。そしてE. histolytica は感染抵抗性が付与されにくく、 再感染が可能であることも注意が必要な点である。
また、 赤痢アメーバ症は現行の感染症法4類感染症にあげられており、 届け出の義務がある。施設における赤痢アメーバ症は様々な社会問題的要素を含んでおり、 診断・治療・予防策を講じる場合にはこの点も留意しなければならない。疫学的調査を実施する場合は無論のこと、 検査結果を扱う場合も施設や利用者とその保護者に対して十分な説明と配慮が必要である。また、 状況によっては施設の所在する地域住民の理解も必要となる。これらの点に関しては、 なによりも関係者の理解とコンセンサスが必要と思われる。赤痢アメーバ症の施設内感染はこれまでわが国では本格的に調査されてこなかった案件であるので、 種々の困難はあるものの、 広く論議を行いつつ、 拙速なアプローチを避けて対応をして行く必要があるものと思う。
慶應義塾大学医学部熱帯医学・寄生虫学教室
小林正規 今井栄子 竹内 勤
国立感染症研究所・寄生動物部
野崎智義 Ali Haghighi