WHO SARS研究ネットワーク

(Vol.24 p 241-243)

1.重症急性呼吸器症候群(SARS)の出現と流行拡大

以前であれば中国南部の風土病に留まっていたであろう新興感染症SARSは、 グローバル化の進んだ現在、 高速大量輸送の航空機を仲立ちにして、 急速に世界各地へ伝播され拡がった。一方、 このパンデミックの病因の同定もWHOを中心とした異例とも言える国際協力の下で効率よく短期間に行われ、 またその感染対策・措置も国際協力の下に効率よく行われ、 4カ月後にようやく制圧に成功した。SARSの問題は、 まさにグローバリゼーション時代を象徴する出来事であったと言えよう。しかし、 SARSの起源は解明されておらず、 また病原ウイルスが冬季に流行するヒトコロナウイルスの仲間であることから、 今冬季における再出現・再流行が懸念されている。

昨年(2002年)11月以来、 中国広東省で非定型肺炎が多発しており、 本年(2003年)1月には多数の死亡者が出ているとの未確認情報や噂が香港を中心に報道されていた。WHOからの再三にわたる照合に対して、 中国政府は2月14日になって初めて非定型肺炎の流行を認め、 2002年11月16日〜2003年2月9日にかけての患者数は 305名、 死亡者は5名であること、 この疾患はクラミジア肺炎であり、 既に流行は沈静化していると発表した。

一方、 1月下旬の旧正月に、 香港在住の家族が広東省広州を経由して福建省に帰省したが、 現地で8歳の娘が肺炎を発症して死亡した。2月初めに香港に戻った残りの家族のうち、 父親と9歳の息子も呼吸器疾患を発症し、 父親は肺炎で死亡した。この親子から分離されたウイルスはトリ強毒型インフルエンザウイルス(H5N1型)であることが2月19日に発表された(本月報Vol.24、 No.3、 67-68参照)。これは、 1997年に香港で流行し患者18名中で6名の死亡者を出したH5N1型ウイルスとは異なるウイルスであり、 WHOでは新型インフルエンザによる大流行の可能性を危惧して警戒警報を発し、 監視体制の強化とワクチンの緊急開発を開始した。

WHOでは、 新型インフルエンザの出現に備えて、 世界4カ所のWHO協力センターを中心とした約200カ所の研究所を結ぶインフルエンザ研究ネットワークを整備し、 監視を続けているが、 昨年の11月以来広東省で流行している非定型肺炎がこの新型インフルエンザによるものではないかと疑い、 2月下旬に3名のインフルエンザ専門家を中国に派遣した。筆者はその一人として北京を訪問し、 政府に対して広東省、 福建省の肺炎流行に関する情報提供と、 WHO調査チームの受け入れを求めたが、 中国側からは前向きの回答は得られなかった。このように、 今回のSARS流行の検知と対応は、 新型インフルエンザが香港においてWHOのインフルエンザ監視網に引っ掛かったことからスタートしている。後で述べるWHO SARS研究ネットワークも、 このインフルエンザ研究ネットワークを基盤に構築されたもので、 ほとんどのメンバーはインフルエンザの専門家である。

中国における交渉が難航中の3月1日に、 ベトナム・ハノイのWHO事務所から、 「香港からハノイを訪問した人が肺炎に罹り、 重体である」との第一報が北京のWHO事務所に入った。我々は、 H5N1型インフルエンザがハノイにも拡がり、 インフルエンザ大流行の始まりである可能性を疑い、 患者検体を国立感染症研究所(感染研)のWHO協力センターへ送るよう指示した。この時に気管チューブを通して肺胞洗浄液を採取したのがWHOのCarlo Urbani医師であり、 彼は後にSARSを発症して死亡している。感染研ではインフルエンザをはじめとする呼吸器感染の原因となる様々な病原体、 さらには患者が出血傾向を示したことから出血熱ウイルスについても検査を行ったが、 すべての検査結果は陰性であった。その結果、 ハノイの肺炎は未知の病原体による可能性が浮上してきたのである。

3月5日からは患者が入院するハノイのフランス系病院の職員の間で多数に肺炎発症が報告された。また12日には香港でも複数の病院の医療関係者に同様の肺炎疾患が多発する様相を見せはじめた。14日にはシンガポールで、 翌15日にはカナダとドイツでも患者発生が報告された。いずれもインフルエンザの可能性は否定されたが、 原因は不明であった。その後、 世界各地における急激な患者数の増加報告を受けて、 3月15日にWHOは、 病原体不明で感染拡大の危険性のあるこの感染症をSARSと名付け、 症例定義を示して、 各国に対して患者発生数の報告を求めた。さらに、 人から人への直接感染が強く疑われるため、 患者と濃厚に接触する家族や医療従事者においては二次感染を生じないよう、 特に注意が喚起された。

このような事態に、 中国政府はWHOへの情報提供とWHO調査団の受け入れに合意することとなり、 3月23日に中国に入った調査団によって、 広東省で流行している非定型肺炎がSARSであると結論付けられ、 流行は2002年の11月に同省で始まり、 さらに拡大中であることが明らかにされた。3月26日には中国政府はWHOへの協力を表明して、 患者数、 死亡者数の大幅な上方修正を行った。そこでWHOは4月2日に、 香港特別行政区と広東省への渡航延期勧告を出した。このような勧告はWHOとして初めてのことである。この渡航延期勧告の対象は、 以後流行地域の消長に応じて変更されている。

2.WHO SARS研究ネットワークと病原体の究明

WHOは3月17日に、 SARSの病原体の特定と検査方法の確立を目的として、 9カ国11研究施設で構成される多施設共同研究ネットワークを開設した。第一線の科学的専門知識を結集したこの共同研究には、 カナダ、 フランス、 ドイツ、 香港から3カ所、 日本、 オランダ、 シンガポール、 英国、 米国の研究所が参加し、 4月からは中国の2カ所も参加している。日本からは感染研が参加し、 筆者がその代表となっている。普段は互いに競争しながら研究を進めている各国の研究室が、 WHOのリーダーシップによる感染症への緊急対策という共通の目的の下に、 全体があたかも一つの研究機関として全面的に協力しながら問題の解決に当たる、 史上初めての試みである。

研究ネットワーク内に専用のウエッブサイトを作り、 しばしばキーワードの変更を行ってデータのセキュリティーを確保した。ここに研究方法、 結果、 患者情報等あらゆる情報を集めてデータベースとして全員で共有するとともに、 患者検体や検査材料も交換するなど、 解析結果の再現性も同時に検証していった。また連日(日本時間では午後8時から)2〜3時間にわたって全員参加の電話討論会が行われ、 次々と新しい結果が報告され、 また方法論や結果の評価、 解釈、 今後の方針等について活発な討論がなされた。全員で共通認識を確認してから次へ進むという、 まさに同一研究グループ内での研究検討会である。さらにこの場で合意された内容が翌日にはWHOから公表された。電話検討会の直後には、 個別の研究機関の間で、 検体送付や実験手技の細かいすり合わせの電話が続き、 これによって、 情報不足による無駄な重複や繰り返し、 進展の足踏みが避けられて、 極めて効率の良く研究を進めることができた。その結果、 1カ月という短期間で、 新種のコロナウイルスを発見し、 これがSARSの病原体であることの同定に成功した。各々の研究室が別々に進めていたのでは、 到底考えられないことである。

SARSの症例定義が、 患者との接触や渡航歴とともに、 「突然の発熱」と「咳や呼吸困難などの呼吸器症状」が基本であるために、 かぜや肺炎の原因となる様々な既知の病原体が患者から検出された。これらについてSARSの病原体としての厳しい評価を行い、 ネットワーク開設後1週間目には、 最終的な候補がほぼ3つに絞り込まれた。

まず、 フランクフルトで入院中のシンガポール医師の咽頭材料からの電子顕微鏡(電顕)でのパラミクソウイルスと思われる粒子の検出報告に続いて、 香港中文大学とカナダからはヒトメタニューモウイルス(hMPV)の遺伝子が患者のほぼ100%から検出されるとの報告がなされた。WHO研究ネットワークではこの成績について慎重な立場を堅持したが、 両研究所では記者会見を行い、 当初はこれがSARSの病原体であるとして広く報道されたのである。

一方、 香港大学では死亡例の剖検肺組織から、 サル腎細胞を用いてウイルスの分離に成功した。さらに、 患者の血清にはこのウイルスに対する中和抗体が誘導されていることが分かった。米国では患者の咽頭分泌物の電顕観察により、 コロナウイルスに特徴的な構造を示すウイルス粒子を検出し、 検体を交換して調べた結果、 翌日にはこれが香港で分離されたウイルスと同じものであることが明らかになった。ヒトコロナウイルスは、 かぜの病原の一つとしてしばしば上気道に感染しているので、 これが検出されても不思議はない。しかし、 今回分離されたウイルスは、 これまで知られていたかぜのウイルスとは抗原的にも遺伝子レベルでも異なっていた。その後、 抗原性の解析と遺伝子RNA の全塩基配列の決定が各研究グループで並行して進み、 このウイルスは、 3系統に分かれる既知のコロナウイルスのいずれの系統にも属さない新型コロナウイルスであることが明らかになった。これがSARS病原体の第2の候補となった。

これらに対して、 中国は広東省で流行中のSARSと同一と考えられる非定型肺炎の病原はクラミジアであるとの主張を最後まで曲げようとはせず、 これが第3の候補として残った。

次に、 これらの3つの候補のうち、 どれがSARSの原因であるかを決定する作業になった。ある病原体が特定の感染症の原因であるとの因果関係を証明するには、 コッホの3原則に照らして考えることが基本である。コッホが、 当時発見されていた限られた病原細菌に関する知見に基づいて提唱した原則は、 多くの例外もあって、 現在の視点からは必ずしも十分なものではない。特に、 不顕性感染や持続感染を起こすウイルス、 腫瘍ウイルス、 また異なる病原体が同じ症状の疾患を起こすことが多いウイルスなどには適用できない例も多い。SARSについてコッホの3原則は以下のように整理できよう。候補病原体は、 1)SARS患者から常に検出される。2)SARS以外の人から検出されない。3)適当な動物に感染させると、 SARSに似た病気を起こし、 同じ病原体が再分離される。

そこで、 研究ネットワークでは上記の3候補についてこれらの条件を検討した。このためには、 多数の患者と対照となる健康人についての疫学調査と微生物学的検査が必要であり、 集積されたデータベースと新たな研究結果に基づいて検討が進められた。この作業には3週間を要したが、 この間は推理小説の犯人追及にも似た心の躍る体験であった。その結果、 クラミジアは3原則のいずれにも合致しないと早々と結論された。hMPVは、 一部の研究室以外からはほとんど検出されておらず、 一方、 前述のようにSARS以外のかぜ患者からもしばしば検出されている。hMPVはかぜなどの急性呼吸器感染症の原因の約10%を占めており、 成人ではほぼ100%の人が抗体陽性であり、 しばしば再感染が繰り返されていると考えられている。従って、 SARSの中に「紛れ込み」として検出される可能性がある。ただし、 SARS発症・重症化における増悪因子として、 hMPVによる重感染の可能性は否定されていない。

一方、 新型コロナウイルスについては、 ウイルス、 ウイルス遺伝子、 特異抗体がほとんどのSARS患者でいずれかの時期に検出されており、 健康人からは検出されない。またカニクイザルに経鼻接種すると、 2週間後にSARSと似た間質性肺炎が起こり、 この間に咽頭や便から同じウイルスが検出された。これらの結果はコッホの3原則をすべて満たすものであった。そこで、 研究ネットワークでは4月15日にジュネーブで検討会を持ち、 この新型コロナウイルスをSARSの病原体であると結論して、 WHOは4月16日にこれを公表した。ネットワーク開設後ちょうど1カ月目であった。激しい競争によって行われたAIDSの病原体HIVの特定に2年以上を要したことと比較しても、 功名を排した今回の国際協力の成果は明らかであり、 21世紀の感染症研究の在り方を示唆している。

3.SARS検査方法の開発と研究

その後、 WHO SARS研究ネットワークは、 第2の目的である検査方法の確立を目指している。現在までに、 各研究室の協力により、 RT-PCRによるウイルス遺伝子の検出、 サル腎細胞を用いたウイルス分離と同定、 特異的血清抗体の検出方法(ELISA、 中和法、 蛍光抗体法)が開発されているが、 現時点で、 発症初期における診断に有用なものはRT-PCRのみである。ネットワーク内でも多くのプライマーが提案され、 WHOは7種類のプライマーを推奨しているが、 我々の検証では、 その中の3つは感度が高いが、 ほとんど使用に耐えないものもあった。しかも、 一番感度のよりプライマーを用いても、 現在のRT-PCRの検出感度には問題があり、 発症後第3〜4病日までの陽性率は低く、 陰性結果でもウイルス感染を否定しきれない。この点が、 現場において疑わしい患者への対処を困難にしている。

リアルタイムPCR用のキットが幾つかの企業と共同で開発されているが、 いずれも高額な機器が必要であり、 検査時間は大幅に短縮されたものの、 感度については大きな改善は無い。しかし、 RNA抽出法の改善などにより、 発症早期の血漿・血清からも比較的高率にウイルス遺伝子を検出できるようになってきている。また、 ジーンチップを用いた遺伝子検出法も幾つか開発されているが、 特異性と価格等の面で問題がある。

WHOでは、 感度と特異性が高く、 発症初期でもウイルス感染を診断でき、 特殊な機器を必要とせず、 操作が簡便で、 迅速に結果の出せる安価なキットの開発を求めている。我々はこれに応じた診断キットの開発を進めているが、 国内では患者検体が得られないことから、 キットの野外性能試験を東南アジアなどSARS流行地域の研究機関と共同で進めている。限られた臨床検体の共有と有効な使用に関するネットワーク内の協議が、 様々な利害が絡んで困難な状況にあり、 国際協力も利益の絡むビジネスの分野となると難しいことが実感されている。

一方、 ウイルスの性状、 感染病理機構、 ウイルス不活化条件、 抗ウイルス剤への感受性等に関しても、 研究ネットワークは多くのデータを蓄積しており、 多くは公表されている。これらに関しては、 研究ネットワークの直接の目的ではないが、 関係する研究機関によるこれらの基礎研究分野における研究の進展が期待されている。

また、 SARSコロナウイルス(SARS-CoV)の自然宿主、 ヒトへの伝播経路に関する研究も、 研究ネットワークにおいて進められている。香港と広東省の共同研究により、 食材市場の様々な野生動物がSARS-CoVに似たウイルスの感染を受けていること、 これらの動物取扱者の抗体保有率が高いことが報告され、 ハクビシンやタヌキなどが自然宿主として脚光を浴びた。また遺伝子解析から、 様々な仮説が提起されている。しかし、 その後、 WHOの専門家調査団がデータの検証を行ったところ、 これらの動物が自然宿主としてウイルスの維持・伝播に関わっている可能性には疑問が生じており、 自然宿主については振り出しに戻っている状況である。

今回のSARS流行は、 感染の拡がり方においても高速大量輸送によるグローバル化が大きな要因となっており、 その対策においてもWHOを中心とした国際協力体制が不可欠であることを教訓として残している。地球全体で考えなければならない時代になっていることが実感させられる。また、 正確な情報を公表して世界中が共有すること、 それに基づいた適切な初期対応が感染爆発の阻止と制圧に決定的な条件であることを示した。まさに21世紀における感染症の姿を先取りするような出来事であったと言えよう。

国立感染症研究所・ウイルス第3部 田代眞人

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