SARSコロナウイルスの検査法・検査結果

(Vol.24 p 243-247)

昨年(2002年)の11月に中国南部の広東省で起こった非定型肺炎の集団発生に端を発した重症急性呼吸器症候群(SARS)は1)、 7月5日にWHOから終息宣言が出されるまでの間に、 世界32カ国で8,422人の感染者と916人の死者を出すまでに至った深刻な新興感染症である2)。わが国では、 SARS流行期間中に52件の疑い例と16件の可能性例を認めたが3)、 幸いにもSARS患者は出ていない。本稿では、 WHO SARS共同研究ネットワークのメンバーである国立感染症研究所(感染研)SARS実験室診断グループ(ウイルス第3部第1室およびウイルス第1部第1室による合同チーム)が行った検査対応と国際協力、 さらに国内外から依頼されたSARS検査の結果について報告する。

1.感染研のSARSコロナウイルス検査対応と検査法の概要

(1)SARSコロナウイルス(SARS-CoV)が同定される前の対応:SARSの流行が始まった3月には、 国内においてもSARS疑い例や可能性例が増えることが予想されたことから、 我々は感染研・感染症情報センター、 厚生労働省結核感染症課と協議の上、 感染研での検査対応指針を作成し、 地方衛生研究所(地研)と感染研それぞれの立場における役割分担を明確にするとともに、 検査法や検体の取り扱い方などに関する指針を地研に提示した(詳細は『SARSコロナウイルスに関する検査対応について』http://idsc.nih.go.jp/others/urgent/update73-kensa.htmlを参照)。当時は、 SARSの病原体はまだ同定されておらず、 香港やカナダからはSARS患者からパラミクソウイルス科のヒトメタニューモウイルスが分離されたとの報告があったことや、 SARSの流行が起こる1カ月前には、 香港および中国福建省でトリの新型インフルエンザウイルスH5N1がヒトに感染し、 感染者2名のうち1名が死亡する事例が発生していたことから4)、 SARSの病因としてH5N1ウイルスも疑われていた。そこで我々は、 迅速かつ感度の高い診断法として様々な病原体の検出に広く用いられているRT-PCR法で、 これらウイルスを含む既知の呼吸器系ウイルスを同定するシステムの構築を行った。感染研への検査依頼として最初に送られてきた検体は、 ベトナムのSARS index caseから採取した気管洗浄液であった。我々はこの検体について、 インフルエンザウイルス(A/H1、 A/H3、 A/H5およびB型)、 ヒトメタニューモウイルス、 RSウイルス、 ハンタウイルス、 クリミア・コンゴ出血熱ウイルス、 ラッサ、 エボラ出血熱ウイルス、 マールブルグウイルスを検出できるプライマーを用いてRT-PCR検査を行った。この結果、 いずれのPCR反応も陰性で、 これらウイルスによる感染を示唆する成績は得られなかった。この検査結果は直ちにベトナムおよびWHOへ報告された。

(2)病原体診断系の確立:4月になり、 WHO SARS共同研究ネットによりSARSの病原体として新種のコロナウイルス(SARS-CoV)が同定された5), 6)。それに伴って、 複数の研究施設からSARS-CoV遺伝子の全塩基配列や7), 8), 9), 10) 、 RT-PCRによるSARS-CoV遺伝子検出用のプライマーが相次いで発表された11), 12)。そこで、 我々もSARS-CoVに焦点を絞り、 WHO-web サイトやSARS共同研究ネットワークから入手したプライマー情報をもとに、 RT-PCR診断系の開発を試みた(図1)。国内ではSARS患者がおらず、 陽性対照となる検体が入手できなかったことから、 この系の構築はなかなか進展しなかった。しかしその後、 香港から様々な使用条件付きでSARS-CoV(HK39849株)が分与されたことにより、 このウイルスから抽出した遺伝子RNAを標準品として、 プライマーの感度検定やPCR反応条件の検討を行うことが可能となった。

感染研では流行初期に発表された7種類のプライマーセット(IN-2/IN-4、 IN-6/IN-7、 COR-1/COR-2、 BNIoutS2/As、 BNIinS/As、 SAR1s/as、 1Ap/7m)およびその後に追加された3種類のプライマーセット(Cor-p-F2/R1、 Cor-p-F3/R1、 NpconS2/As1)について感度、 非特異反応の有無、 PCR産物の特異性確認の容易さなどについて検討した。その結果、 図2に示す4つのプライマーセットが、 現時点ではRT-PCR検査に推奨できることを確認した。臨床検体を用いたこれら4つのプライマー感度の検討は、 香港、 フィリピン、 モンゴル、 韓国などから感染研に送付された検体の中に含まれていた数例の陽性検体を用いて行われた(図2)。これらの検討結果は『PCRマニュアル』としてまとめられ、 感染研における検査対応とともに感染研・情報センターのHPに掲載されている。またPCRマニュアルは、 新しいプライマーが採用され、 PCR条件が改良されるたびに改訂される予定である。

一方、 ウイルス分離検査については、 WHOの指針および国内での取り扱い基準により、 BSL3施設で行われることが規定されている。海外からの情報ではVeroE6細胞がSARS-CoVに感受性があること、 また、 感染研が入手したHK39849株もVeroE6細胞でよく増殖したことから、 ウイルス分離検査にはVeroE6細胞が採用された。図1に示すようにウイルス分離検査は、 検体接種細胞の細胞変性効果(CPE)を毎日観察し、 CPEが陰性であっても培養後2週間目に培養上清をRT-PCRにかけ、 ウイルス遺伝子の検出の有無により最終判定を行った。手技の詳細については、 『ウイルス分離マニュアル』として感染研・情報センターのHPに掲載されている。

(3)血清学的診断系の確立:香港からSARS-CoVが分与されたことにより、 また、 その後に香港から送付された陽性検体からウイルス株の分離に成功したことにより、 これらのウイルスを用いて血清診断系の構築が可能となった。感染研では、 患者から採取したペア血清(発症時および発症後3週目)中のSARS-CoVに対する特異抗体を測定するために、 ウイルス感染細胞を抗原とした間接蛍光抗体法(IFA)、 ELISA法、 ウイルスを用いた中和抗体測定法を開発した(図1)。これら3つの検査法はよく相関していることから、 検査法として信頼性が高く、 SARS感染の有無の最終診断は、 これらによる抗体検出によって行われた。

(4)ウイルスの安定性試験:血清検体からRT-PCRでSARS-CoV遺伝子が検出された例が海外で報告されていることから、 血清診断に用いる患者血清に感染性ウイルスが存在している可能性がある。そこで、 血清検査を安全に行うためにも、 血清を熱処理した場合に、 ウイルスの感染性は失活するのか否かを知ることは重要なことである。我々は、 正常ヒト血清に感染性ウイルス(約106TCID50)を混合して、 通常血清検体の非動化に用いる56℃30分処理した後の残存感染性を測定した。この処理後にはウイルスの感染性は約105TCID50以上の減少が見られ、 ほぼ検出限界以下まで失活した。また、 37℃で4日間放置した場合も、 感染性はほぼ無くなることを確認し、 SARS-CoVは熱に弱い性質を持つことが明らかになった。同様の結果は、 諸外国のSARS共同研究ネットワーク参加研究施設からも報告されている。

2.国内外で採取され感染研に送付された検体の検査結果

SARSの流行期間中に全国の地研、 保健所および医療機関から感染研に送付された検体は158検体で、 その内訳を図3に示した。咽頭ぬぐい液・吸引液、 喀痰、 尿、 便、 全血についてはRT-PCRおよびウイルス分離検査が行われ、 血清についてはIFA、 中和試験、 ELISAなどによる抗体測定が行われた。国内からの検体は、 いずれの検査においてもすべて陰性であった(図3)。ただ、 埼玉県から送付された鼻腔ぬぐい液1検体からは、 RSウイルスが分離された。

一方、 海外(モンゴル、 シンガポール、 香港、 フィリピン、 韓国、 ベトナム、 ペルー、 ブルネイ)からは、 総数 109検体(咽頭ぬぐい液・吸引液60検体、 ホルマリン固定肺組織1検体、 血清48検体)が感染研に送付され、 これらは国内検体と同様の検査が行われた。にはモンゴル検体の検査結果を例として示している。現行の検査システムにおいてはモンゴルから送られた咽頭ぬぐい液2検体(図2)、 香港からの2検体およびフィリピンからの肺組織からRT-PCR陽性例が認められた。また、 新しく開発したin situhybridization法でフィリピンの肺組織からはウイルスRNAを検出することに成功した13) 。一方、 22の血清でIFAまたは中和抗体が陽性となり、 このうち19検体は両試験方法で陽性であった。これらの結果は、 検体送付国およびWHOに報告された。感染研のこのような活動実績に基づいて、 WHO西太平洋事務局(WPRO)は感染研をSARSレファレンスセンターに指定した。

3.野生動物からのSARS-CoVの検出の試み

中国広東省の野生動物マーケットで売買されているハクビシン(Himalayan palm civet)、 タヌキ(raccoon-dog)などからSARS-CoVが分離されたという報告があったことから14) 、 わが国にも生息しているハクビシンからSARS-CoVが検出できるかどうかを調査した。検体は横浜市立大学医学部解剖学教室に凍結保存されていた24匹のハクビシンの腸管を送付してもらい、 2種類のプライマーセット[SARS1s/as、 Cor-p-F3(+)/R1(-)]を用いてRT-PCR検査を行った。その結果、 全例陰性であることが確認された。

4.SARSコロナウイルス検査法の今後の課題

今回のSARSの流行に際して感染研が立ち上げた検査法(図1)は、 今後の研究開発の進展に伴って随時改良されるべきものである。特に病原体診断の中心的役割を担っているRT-PCR法は現時点では感度や検体採取時期などの問題から、 陽性例を見落としている可能性が否定できない。現時点で確実に感染を診断できるのは抗体検査であるが、 発病後10日以降でないと抗体を検出することができず、 これでは感染拡大を防ぐための迅速な対応がとれない。従って、 今後は病原体診断における迅速で特異性が高く、 高感度な遺伝子検出系の開発が必要である。現在、 感染研ではSARS鑑別診断系の開発およびワクチン開発のための共同研究チーム(ウイルス第1部第1室、 ウイルス第2部、 ウイルス第3部第1室、 免疫部、 感染病理部)が組織され、 臨床現場で簡便にSARSを鑑別できるキットなどの高感度な病原体診断系の確立をめざして研究が進められている。しかし、 わが国ではSARS-CoV遺伝子をコピーしたcDNAの組み換え操作やその培養細胞への導入など、 非感染性物質を扱う操作が、 BSL3扱いに規定されている。このような基準設定をしている国は他に例が無く、 SARS研究開発の大きな障害となっている。今後の研究発展のためにも、 現状に即した見直しが必要と思われる。

文 献
1) WHO, CDSR: Severe acute respiratory syndrome (SARS): Status of the outbreak and lessons for the immediate future. Geneva, 20 May 2003
2) WHO:http://www.who.int/csr/sars/country/en/country2003_08_15.pdf
3)厚生労働省: http://www.mhlw.go.jp/topics/2003/03/tp0318-1c.html
4) WHO:http://www.who.int/csr/don/2003_02_20/en/
5) Peiris JS, et al., Lancet; 361:1319-1325,2003
6) Fouchier RA, et al., Nature; 423: 240, 2003
7) Rota PA, et al., Science; 300: 1394-1399,2003
8) Ruan Y, et al., Lancet; 361: 1779-1785, 2003
9) Tsui SKW, et al., N. Engl. J. Med.; 349: 187-188, 2003
10) Zeng FY, et al., Exp. Biol. Med.; 228: 866-873, 2003
11) Ksiazek TG, et al., N. Engl. J. Med.; 348: 1953-1966, 2003
12) Drosten C, et al., N. Engl. J. Med.; 348: 1967-1976, 2003
13) Nakajima, N, et al., Jpn. J. Infect. Dis.; 56: 139-141, 2003
14) Guan Y, et al., Sciencexpress; http://www.sciencemag.org/sciencexpress/recent.shtml, 4 September 2003

国立感染症研究所・SARS実験室診断グループ
小田切孝人 二宮 愛 板村繁之 西藤岳彦 宮嶋直子
森川 茂 西條政幸 佐多徹太郎 田代眞人

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