世界保健機関(World Health Organization: WHO)は6つの地域に分かれていて、 それぞれに地域事務局がある。日本・中国などのアジア太平洋地域を管轄する西太平洋事務局(Western Pacific Regional Office: WPRO)は、 フィリピンのマニラにある。今回のSevere Acute Respiratory Syndrome(SARS)の流行では、 50例以上の大きな流行の起きた地域は、 カナダのトロントを除くとすべて西太平洋地域にある。これらを可能性例の報告数(2003年8月7日現在)で見てみると、 中国本土 5,327例、 香港1,755例、 台湾665例、 シンガポール238例、 ベトナム63例となる。これ以外にもフィリピン・モンゴルの2カ国では地域伝播(Local Transmission)が起こった。この結果、 世界全体の96%までが西太平洋地域で起きたこととなる(図1)。
WPROでのSARSへの対応は2003年2月10日前後に、 いくつかの非公式なルートを通じて、 広東省で呼吸器感染症の流行がおきているらしいという情報が寄せられたことに始まる。直ちに、 北京のWHOオフィスが、 中国政府に情報の確認を求めた。この結果、 2月11日に中国保健省から回答があったが、 その内容は、 広東省の広州を中心として、 300例程度のAtypical pneumoniaの流行が起きているが、 流行は沈静化に向かいつつあるというものであった。しかし、 メディアなどは、 流行はさらに続いており、 感染者の数も公式の発表よりもかなり多いと報告していた。2月18日になると、 香港からインフルエンザA/H5N1が、 5年ぶりにヒトから分離されたという情報が入ってくる。このため、 広東省の流行がH5N1と関連があるのかどうかを明らかにすることが、 最重要の課題となった。この結果、 2月23日には最初のWHOのチームを中国に緊急に派遣することになった。この前後、 一貫して、 WHOは広東省へのチームの派遣を求めていたが、 中国政府からの同意は得られず、 結局、 WHOと保健省の合同チームが広東省で調査を開始できるのは、 これから1カ月以上経った4月3日になってからであった。
2月28日には、 中国保健省と折衝をしていた北京のWHOチームのもとに、 ベトナムのWHOオフィスのDr. Urbaniから、 ハノイの病院に香港から来た中国系アメリカ人が重症の肺炎で入院している、 という第一報が入る。3月5日になると、 その同じ病院で患者と接触のあった医療従事者のあいだに発熱者が出ていることがDr. Urbaniから報告された。この病院での情況はこの後、 日を追って悪化していき、 3月8日までには重症例を含む20人以上の肺炎患者が医療従事者の間で発生する。このため急遽、 ベトナムにもチームを派遣することとし、 最初のメンバーは3月10日にハノイに到着した。この後、 Dr. UrbaniはSARSに感染していることが判明し、 入院先のバンコクで3月29日に亡くなった。彼がいち早くベトナムの情況をつかんで報告したことが、 WHOを中心として世界が行動を起こすきっかけになった。また彼がハノイの病院で適切な院内感染対策を講じたことが、 ハノイでの感染拡大を防ぐ大きな要因となったことは間違いない。3月11日になると、 香港から病院での原因不明の肺炎の流行が起きていることが報告され、 この結果、 3月12日にWHOがGlobal Alertを出すことになる。
Global Alertの出されるより以前の2月21日には、 WPRO内にこの流行に対応するためのタスクフォースが作られた。このタスクフォースはGlobal Alertの後、 SARS緊急対策チームへと発展する。WPROのSARS対策チームは、 その活動を大きく2つに分けていた。一つは地域内の流行の起きてしまった国をサポートするResponse Activitiesであり、 もう一つはまだ感染の起きていない国での活動をサポートするPreparedness Activitiesである。
Response Activitiesの柱は感染地域で活動するフィールドチームをサポートすることであった。このなかには、 専門家の派遣、 N95マスクなどの防護機材を含む機材の提供、 ガイドラインの作成、 技術的なアドバイスなどが含まれた。また、 Preparedness Activitiesも非感染国に対して、 専門家の派遣、 機材の提供、 ガイドラインやトレーニングのための教材の作成、 技術的なアドバイスなどを行った。この結果、 8月までの6カ月間で総計200名以上の専門家が地域内各国に派遣された。そのなかには疫学、 院内感染対策、 ウイルス学、 ロジスティック、 環境保健、 臨床などの専門家が含まれる。またJICAから供与された300万ドルの資金を使って、 必要な機材がアジア・太平洋の各国に供与された。
Preparednessのためのガイドラインは4月の第1週にはすでに作成されていた。また、 WPROの対策チームでは、 地域内外のフィールドチームや各国政府と密接な連絡をとりながら疫学的な情報の収集にあたった。新聞やインターネットを通じて莫大な量のSARSに関する情報が流れており、 その中にはSARSである可能性がある患者に関する情報も数多くあった。これらの情報を一つ一つ検討し、 政府機関に情報の確認を求めるというRumor Surveillanceも、 その重要な活動のひとつであった。また、 各国政府から送られてくる公式の患者数に関するデータをまとめ、 分析するという作業も行っていた。さらに、 今回の流行では国境を越えて感染が拡がっていったために、 2カ国以上の国が患者の追跡調査にかかわることが求められた。このような国を越えての調査にもWPROのチームが積極的に関わっていた。
SARSの再流行があるのかどうかは、 現時点ではわからない。しかし、 SARSの再流行が起きた場合に備えて十分な準備をしておくことが強く求められている。WPROでは現在もSARS対策チームの活動を維持しており、 中国やその他の国でのサーベイランスの強化、 院内感染対策プログラムの作成、 ラボラトリーネットワークの構築などの活動を行っている。
WHO西太平洋事務局(WPRO)・SARS対策チーム 押谷 仁