中国本土におけるSARSの状況

(Vol.24 p 254-255)

1.はじめに

Severe Acute Respiratory Syndrome (SARS)はSARSコロナウイルス(SARS-CoV)による重症肺炎を臨床的特徴とする新興感染症である。昨年(2002年)11月〜今年(2003年)6月までに発生した中国本土におけるSARSアウトブレイクの状況について、 WHOの一員として中国のSARS対策に参加した筆者の視点から報告する。

2.SARS感染拡大の経緯

2003年4月に入り、 WHOはSARSの第一例目が2002年11月16日に広東省仏山(Foshan)市で原因不明の異型肺炎として出現していたことを確認した。この広東省におけるSARSの散発的な流行は、 今年の1月には広州市を中心に拡大傾向を示した。2月3日になって中国厚生省(MOH)は305例の異型肺炎の発生としてWHOに公式報告した。一方、 2月下旬にはこの異型肺炎を診療していた広東省の医師が香港のホテル9階で12人の宿泊客に感染させ、 ここからベトナム、 シンガポール、 トロントなど国際的な感染拡大へと発展した。WHOはベトナムでの異型肺炎の報告を受けて、 3月12日に異型肺炎に関するGlobal Alertを発令するに至った。

北京市内へのSARSの流入もこの時期に始まっていた。山西省から広東へ旅行した女性が2月21日にSARSを発症し、 山西省の病院に入院した。重症化したこの患者は3月1日に北京市内の病院へ移送され、 その後に院内感染が拡大し始めた。しかしながら、 4月の中旬まで北京市内におけるSARSの実態は正確に公表されていなかった。4月20日以降、 北京市内のみならず中国本土の患者数は急激に増加し、 北京市内のアウトブレイクは本格化していった。このような事態を受け、 中国MOHとWHOは協力体制を取りつつ、 SARS制圧に対する積極的な取り組みを開始した。

3.診断および症例分類

SARSの臨床診断に患者への曝露歴は重要であり、 中国の診断基準においてもWHOの基準とほぼ同様の内容になっていた1)。中国の診断基準に特徴的なのは、 検査所見として末梢血白血球(減少もしくは正常)と抗生物質治療の無効であることが加えられていることである。臨床の現場では、 末梢血白血球数については、 白血球増多以外はすべて陽性となるわけで、 ほとんどの症例で陽性となるために、 非特異的所見となる傾向があった。また、 抗生物質治療が無効であることも積極的にSARSを示唆する項目ではなく、 逆に抗生物質が有効な場合はSARSを除外できるのかという疑問もあった。また、 ウイルス学的検査(特異抗体検査、 PCR検査など)は含まれていない。結果として、 臨床的にSARSと考えられる症例を除外するといったunder reportはほとんど認められず、 逆にover reportは全体の10%程度に認められた。

SARSの臨床的診断には限界があり、 微生物学的な鑑別診断が重要である。しかしながら、 中国においてはガイドラインの診断基準を満たす検査(胸部X線、 末梢血検査)のみが実施される場合が多く、 SARS-CoVを含むウイルス学的診断はもとより、 細菌培養(喀痰、 血液)、 非定型細菌に対する血清学的検査などはほとんど実施されていないというのが実情であった。

また、 症例分類は、 上記の診断基準項目の組み合わせで可能性例、 疑い例、 医療観察例に分けられていた。これらの症例はSARS指定病院に収容され、 可能性例、 疑い例は別々の隔離病棟に1人1病室を基本に隔離病室に収容される。医療観察例は疑い例に準じて、 指定病院内の非隔離病棟に収容されていた。

4.地域別感染パターン

WHO-MOHの合同調査団が組織され、 5月上旬から広西自治区、 安徽省、 河北省、 河南省、 天津市(その後山西省、 内蒙古自治区)の実態調査を実施した。

広西自治区は広東省に隣接するために、 すべてが広東省からの輸入例であった。すなわち、 この流行は昨年の12月〜今年の1月にかけて2つのクラスター、 11例が発生し、 その後3月までは症例発生がなく、 4月に再び9例の散発的発生があった。1月に認められたクラスターには広東省で働く動物卸業者4名とその家族、 計5名が含まれている。

華中に位置する安徽省と河南省は北京市や広東省からの輸入症例であり、 それぞれ少数例が報告されている。北京市と天津市を取り囲むように位置する河北省では大都市からの輸入例とその後の二次感染のために症例が192例にも達した。天津市では175例が報告されたが、 そのうち94%が1例のsuper spreaderによって直接的、 間接的に感染していた。全体の38%が医療従事者の感染であった。このように地域別の感染パターンは北京市、 天津市、 河北省では大規模感染が認められ、 医療従事者、 さらには一般住民にも拡散した。安徽省、 河南省、 広西自治区では少数の都市部からの移動労働者による輸入例であった。

一方、 広東省の流行については総数1,317例のうち、 1,144例が広州市で発生し、 329例(25%)の医療従事者の感染が認められている2)。

中国本土におけるSARSアウトブレイクは結果として5,327人の感染者数を数え、 その致死率は6.5%であった。感染流行の発端となった広東省・広州市(1,144人)とその後に感染拡大した北京市(2,521人)に全体の69%(3,665人)が集中している。患者数では山西省(448人)、 内蒙古自治区(282人)、 河北省(215人)、 天津市(175人)がこれらに続いた。

5.アウトブレイクはなぜ起こったか

(1)初期における不十分な院内感染対策:SARSの伝播様式は飛沫感染と接触感染が主体である。これを防止するためには、 手袋、 ガウン、 N95マスク、 ゴーグルなどの個人防御装具が必須である。SARSがその地域に発生しているという疫学的情報がありながら、 アウトブレイクの初期にはこのような基本的知識が医療従事者に十分に浸透していなかったことが指摘できる。また、 ほとんどの病院においてN95 マスクは供給されておらず、 12層ガーゼによるマスクが使用されていた。

(2)予知することが困難な症例の存在:一方、 SARSに対する知識が十分であっても、 SARSを予知できない症例も経験されている。免疫不全患者や糖尿病・腎不全などの基礎疾患を有する患者がSARSを発症すると発熱が明らかでないなど、 非典型的経過をとる場合がある。また、 このような症例がしばしばsuper spreaderとなることが報告されている。

6.中国の対応

中国MOHはこのアウトブレイクの進行する最中、 SARS制圧を国家最優先事項と位置づけて強力な指導力のもとに対策強化を図った。

(1)対SARS医療体制を構築:適切な換気システムを備えた、 ひとりの患者あたりバス・トイレ付きの1病室を基本とする理想的なSARS患者専用病院を新築あるいは全改装した。

(2)院内感染コントロールの徹底:中国厚生省のガイドラインに従った患者の適切なトリアージや隔離病棟内での厳密な院内感染管理が実施された。医療従事者の非勤務時隔離体制などを含む徹底した対策であった。

(3)中国全土における草の根レベルの患者検出システム:各地域の交通の要地に体温のチェックポイント、 また発熱患者を早期に検出するためのフィーバークリニックを設置しSARS患者のみを指定病院へ搬入する体制を構築した。

(4)国民に対してはマスメディアを駆使した啓発活動(テレビ、 テレホンホットライン、 ポスターなど)が実施された。

(5)低所得者に対してはSARS治療にかかる医療費を免除した。

7.おわりに

中国本土のSARSアウトブレイクの最中、 中国政府は圧倒的な指導力でSARS制圧を成し遂げた。しかしながら、 今シーズンにおけるSARS再来の可能性も考えられ、 中国MOH は現在でもフィーバークリニックなどの体制を維持し、 ワクチンなどによるインフルエンザ予防対策にも力を注いでいる。

文 献
1) WHO, WER 78:81-83, 2003
2) Peng G-W, et al., Chin. J. Epidemiol. 24: 350-352, 2003

長崎大学熱帯医学研究所・感染症予防治療分野 大石和徳

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