はじめに:ボツリヌス症ではボツリヌス食中毒がよく知られているが、わが国において2000年以降その発生は報告されていない。一方、乳児ボツリヌス症は本症例のほか、2005年2例の発生が確認されている。ボツリヌス症の発生が多いアメリカの例でも、ボツリヌス症の中で乳児ボツリヌス症の発生数が多いことが報告されている(2004年137例中91例、2003年126例中86例)。乳児ボツリヌス症のほとんどはボツリヌス菌によるものであるが、ごく稀にE型ボツリヌス毒素産生性Clostridium butyricum (C. butyricum )やF型ボツリヌス毒素産生性Clostridium baratii により起こることが知られている。
2004年12月、呼吸障害で入院した患者(9カ月男児)の便からE型ボツリヌス毒素とE型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum が検出され、C. butyricum による乳児ボツリヌス症と診断された。わが国における乳児ボツリヌス症は、1986年〜2005年までに少なくとも20例が報告されているが、本事例を除きすべてボツリヌス菌によるものであり(表1)、本事例はわが国初のC. butyricum による乳児ボツリヌス症と考えられる。そこで本症例の概要および分離されたC. butyricum の性状について報告する。
患者の概要:患者は生後9カ月の男児で、呼吸困難、意識障害を主症状として、2004年12月国立成育医療センターに入院した。眼瞼下垂、便秘、四肢筋力低下等も認められた。入院当初には、ギラン・バレー症候群、乳児ボツリヌス症、重症筋無力症の疑いがもたれたが、抗ガングリオシド抗体陰性であることからギラン・バレー症候群が否定され、テンシロンテスト陰性等から重症筋無力症が否定された。これら他の疾患が否定的だったことに加え、臨床症状と特異的な筋電図(50Hz反復刺激法)の結果から、乳児ボツリヌス症の疑いが強いと考えられた。また、当研究センターに搬入された3および5病日の患者糞便検査によりE型ボツリヌス毒素が検出され、乳児ボツリヌス症の可能性が高いと考えられた。分離培養の結果、E型ボツリヌス毒素産生性でレシチナーゼ反応陰性、リパーゼ反応陰性の菌が分離された。本菌の同定を行った結果、C. butyricum と同定されたため、E型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum による乳児ボツリヌス症と診断された。42病日に病状が改善し退院したが、2005年12月(1歳9カ月)に至ってもまだ自立歩行ができない状態である。
細菌学的検査の概要:細菌学的検査の結果、患者血清(2および3病日)からボツリヌス毒素は検出されなかったが、3および5病日の患者糞便からE型ボツリヌス毒素が検出された。また、3病日および5病日および41病日の患者糞便からE型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum が分離された。71および72病日の患者糞便は、ボツリヌス毒素、本毒素産生菌ともに陰性であった。感染源追及のため離乳食等の食品6件、居室塵埃2件、自宅周辺の土壌9件、患者が使用した哺乳瓶、自宅床等のふきとり20件について検査したところ、風呂の排水口のふきとり検体(2005年2月22日採取)からE型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum が分離された。分離菌はE型ボツリヌス毒素産生遺伝子およびC. butyricum の16S rDNAを保有しており、産生されたE型毒素はトリプシン処理で10〜20倍に活性化された。患者と風呂の排水口から分離された菌はパルスフィールド・ゲル電気泳動法で同一泳動パターンを示した。分離されたC. butyricum の性状を表2にまとめた。
まとめ:E型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum による乳児ボツリヌス症は、1986年にイタリアの症例が報告されて以来、世界で数例の報告があるのみである。また、E型ボツリヌス毒素産生性C. butyricum による食中毒事例については、中国の事例を含め若干例報告されているのみで稀な事例である。ボツリヌス症が疑われる際には、ボツリヌス毒素産生性C. butyricum 等の可能性も考慮して検査を進める必要があると考えられる。
東京都健康安全研究センター・微生物部食品微生物研究科
門間千枝 柴田幹良 高橋正樹 矢野一好 諸角 聖
国立成育医療センター 阿部裕一