1990年代Newly Independent States諸国(NIS)でのジフテリア大流行を受け、ジフテリアのサーベイランスと実験室診断の技術向上を目的とした国際協力体制として、European Laboratory Working Group on Diphtheria (ELWGD)が1993年に発足し、そのミーティングは今年(2006年)で第9回を数える。前々回(2002年)からは規模を世界に拡大したDiphtheria Surveillance Network (DIPNET)としての活動になり、ELWGDとDIPNETの名前が併記されている。前回(2004年)からは日本も参加しており、日本としては2回目の参加である。organizing committeeは英国Health Protection Agency (HPA)とWHO欧州事務局および各回の開催国の公衆衛生担当者で構成され、事務局は英国HPAに置かれ、プロジェクトリーダーはHPAのA. Efstratiou博士がつとめている。今回からはEUの予算を得て、活動の経済的基盤がさらに充実した模様である。
今年のDIPNETミーティングはギリシャのアテネ近郊で11月15〜17日の3日間にわたり開催された。参加国はECおよび非NIS欧州諸国18、旧ソ連地域(NISおよびバルト)諸国11、その他にトルコ、日本、米国、カナダであった。NIS諸国からの参加者への配慮から、ミーティングの公用語は英語とロシア語とされ、参加者のうち両言語に堪能な者が同時通訳をつとめた。
今回のミーティングでは研究発表とワーキンググループ(討論会)が設けられた。研究発表をセッションごとに要約すると、
(1) ジフテリアに関する欧州の対策と現在の世界情勢(6演題)
欧州およびNIS諸国におけるジフテリアの現状と、1990年代の大流行の影響がどの程度残存しているかについて大局的見地から概説がなされた。
(2) 臨床および疫学からみたジフテリア(7演題)
NIS諸国および旧東欧地域におけるジフテリアの現状、大流行の影響からどの程度脱したかについて当事国からの報告がなされた。一方で、日本を含む先進国からは、コリネバクテリウム・ウルセランス菌(C. ulcerans 、本号3ページ参照)や、ジフテリア菌と動物との関係にとくに注目した報告がなされた。また、臨床材料からのジフテリア菌培養スクリーニングに関しては、英国で行政規模の縮小に伴って調査規模の縮小を余儀なくされている現状が報告された。
(3) ジフテリアに対する免疫(7演題)
欧州およびNIS諸国にけるジフテリア免疫の状況、血清疫学のための調査方法について報告がなされた。ロシアから、ジフテリア菌菌体に対する抗体価の調査報告があり、これは非毒素原性菌への対応としても注目に値するものであった。おおむね十分な接種率が達成されているようであった。
(4) 微生物学的サーベイランスと実験室診断(4演題)
ジフテリア菌の同定に深い関係のあるCorynebacterium 属の分類体系の変化、リアルタイムPCR法の問題点の指摘、既存の菌株タイピング法に加えて利用できる新しいタイピング法(複数の遺伝子の配列をコード化するMLST法)について報告がなされた。
(5) ジフテリア菌の病原性(5演題)
ロシア、米国から、ジフテリア菌の病原性は病原細菌学の中では決してメジャーな分野ではないが、それでも米国のグループの遺伝子発現に関する精力的な研究が注目された。
ワーキンググループは4つの小グループにわかれ、各自が2つのグループに参加できるよう時間割が工夫されていた。
(1)C. diphtheriae およびC. ulcerans 感染症の臨床的対応
(2)実験室診断
(3)サーベイランスについて、特に症例定義について
(4)C. diphtheriae およびC. ulcerans 菌株のタイピングについて
筆者は(2)と(4)に参加した。(2)の実験室診断については、欧米先進国および日本のグループとNIS諸国のグループの間に大きなギャップがあることが明らかであった。先進国においては材料、予算が豊富で症例も少なく、丁寧な実験室診断が行われている。その中でも日本は実験室診断に用いる項目数がトップクラスであり、自国の体制に自信を持つことができた。特に検査に必要な標準抗毒素を自国で調達できる国がほとんどないのに比べて、日本では自国調達が容易である点が注目される。
その一方で、NIS諸国においては材料、予算の不足から実験室診断そのものが不可能である事例なども見いだされ、今後も国際的な協力による支援の必要性が強調された。
(4)のタイピングについては、国際標準のジフテリア菌タイピングであるribotypeが自国で行われているかどうかについての調査結果が興味深く、日本、米国、カナダを除くほとんどの国が検体を英国HPA か仏国パスツール研究所に送りタイピングを依頼していた。また、ribotypeを補足すべき新しい方法として、PFGEやMLSTなどがあげられていた。
全体を通して、ジフテリアおよびコリネバクテリウム・ウルセランス感染症について、日本は完全に先進国型の発生パターンを示していることがあらためて確認された。特にコリネバクテリウム・ウルセランス感染症については報告体制の一層の充実が求められる。実験室診断に必要な標準品に関しては、日本では国立感染症研究所がサーベイランス機能と標準品の作製・維持機能を兼ねており、この体制をとっている国は少ない。この利点を生かした貢献も可能であろう。
国立感染症研究所細菌第二部 岩城正昭