本邦36年ぶりの狂犬病輸入症例の報告−京都の事例

(Vol.28 p 63-64:2007年3月号)

本邦での狂犬病は1957年以降には発生しておらず、輸入症例でも1970年のネパールでイヌに咬まれて死亡した症例のみである1)。今回、我々は36年ぶりに発生した狂犬病輸入症例を経験したのでその概要を報告する。

症 例
現病歴:患者は糖尿病で他院通院中の60代男性、主訴は発熱であった。入院85日前〜69日前と37日前〜19日前にフィリピンへの滞在歴があった。入院7日前頃に発熱、咳、鼻汁、左手のしびれを自覚していた。かかりつけの病院で感冒薬の投与を受けたが改善しなかった。入院3日前より水が飲み込みにくいという症状が出現した。入院前日に発熱が持続するために当院救急外来を受診した。脱水所見がみられ点滴を施行したところ、症状は軽快したためいったん帰宅した。翌日、「虫が見える」などの幻視症状が出現し、血液検査上脱水所見も進行していたため、入院した。この時、「トイレの後に水が恐くて手が洗えない」という恐水症状や、「空調の風が当たったり、人がそばを通る空気の流れを感じるだけでも恐い」という恐風症状も呈していた。
既往歴:糖尿病で数年来通院中。
飲酒歴:本人は当初、だいぶ前にやめたと言っていたが、缶ビール350mlを1日10本や、日本酒を1日1升飲むこともあるとも言っていた。
入院時身体所見:意識レベルはGCSでE4V5M6、体温38℃、脈拍135/分整、血圧205/118mmHg、呼吸数30/分、全身発汗著明、眼瞼結膜の充血なし、眼球結膜の黄染なし、咽頭は軽度発赤あり、口腔内は乾燥、Jolt accentuation test陰性、胸部ラ音なし、過剰心音や心雑音を聴取せず、腹部は腸蠕動音正常、やや膨満、軟、圧痛なし、四肢に腫脹なし、全身に皮疹なし、咬傷の痕なし、表在リンパ節腫脹なし、神経学的異常なし。
検査所見:WBC 15,100/μl(Neut 85.7%、Ly 7.6%、Mo 6.5%、Eo 0.1%、Ba 0.1%)、Hb 19.1g/dl、Ht 52.1%、Plt 16.9 x104/μl 、GOT 48IU/l、GPT 28IU/l、ALP 308IU/l 、LDH 383IU/l、CK 2,032IU/l 、BUN 35.7mg/dl、Cr 1.3mg/dl、Na 150mEq/l、K 3.7mEq/l 、Cl 111mEq/l、Glu 286mg/dl 、CRP <0.24mg/dl。
入院後経過:特徴的な恐水症状、恐風症状から狂犬病も疑ったが、患者本人はフィリピンでの動物との接触を否定していた。発熱、発汗、頻脈、振戦、「虫が見える」という幻視症状より、アルコール離脱症候群を疑い、補液、ベンゾジアゼピン投与で治療したところ若干症状の軽快がみられた。しかし、入院日深夜に多弁になり、興奮状態になった。ベッド柵を外したり、看護師に唾を吐きつけるという行動もみられた。その後、痙攣様の動きがあった後、心肺停止状態となった。すぐに蘇生を行い、自己心拍は再開し、挿管、人工呼吸など集中治療管理を行った。

翌日、約2カ月半前のフィリピン滞在中に、患者が左手をイヌに咬まれたことを家族から聴取できたため、狂犬病を疑った。この時点から二次感染予防のために接触感染予防策をとった。国立感染症研究所に検査依頼し、唾液、血液、尿、後頚部の皮膚生検検体を提出した。唾液のPCR 検査でフィリピン株に近い狂犬病ウイルス遺伝子が検出された(図1図2)。後頚部毛根神経組織の免疫染色でも狂犬病ウイルス抗原が陽性となったため、狂犬病と確定診断した。種々の抗痙攣薬を投与したものの、痙攣重積のコントロールに難渋し、横紋筋融解が進行し、多臓器不全で第5病日に永眠した。

考 察
本症例では、患者本人が海外での動物との接触を否定していたため、当初は狂犬病を積極的には疑いにくかった。一見、意識清明に思えたものの、すでに見当識障害がではじめていた可能性があり、このようなケースでは家族など第三者からの病歴聴取が重要である。

本邦36年ぶりの輸入症例であるが、全世界では毎年数万人が狂犬病によって死亡しているといわれ、決して過去の病気ではない。発症してからは有効な治療法がなく、致死率はほぼ100%であるが、適切な予防措置により予防可能な疾患でもある。アジア、アフリカなど狂犬病浸淫地域へも気軽に行き来できるようになった今日、公衆衛生上もインパクトのある症例であると考える。

 文 献
1)高山直秀, ヒトの狂犬病 忘れられた死の病,時空出版,東京: 116-117, 2000

洛和会音羽病院 総合診療科・感染症科
山本舜悟 岩崎千尋 大野博司 二宮 清

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