狂犬病の臨床症状とその診断について−イヌの狂犬病を中心に

(Vol.28 p 65-66:2007年3月号)

日本はアジアに位置する数少ない狂犬病清浄国である。しかしながら、隣国であるアジアでは台湾を除くすべての国・地域でイヌの狂犬病が流行しており、公衆衛生上の大きな課題となっている。多くの場合、ヒトは狂犬病を発症したイヌに咬まれて狂犬病に感染する。したがって、アジアに接する日本でもイヌの狂犬病対策が重要であることはいうまでもない。

本稿では、特にイヌの狂犬病についてその臨床症状と臨床診断についてまとめた。狂犬病は長い潜伏期の後、異常行動を含むさまざまな神経症状を示す致死的な感染症であり、イヌの種類によって狂犬病の症状には大きな違いは認められないといわれている。

1.各期におけるイヌ狂犬病の症状
 (ア)潜伏期:大体2週間〜2カ月、最長6カ月といわれる。もちろん無症状である。
 (イ)前駆期:遠吠え、徘徊、暗がりに入り込むなどの不安行動が見られる。社交的な動物が人を敬遠するようになったり、逆に性格のきつい動物が温和になるなど、性格の変化が見られることもある。その他食欲の廃絶、嘔吐などの非特異的な症状を示す。
 (ウ)急性神経症状期(狂騒期):前駆期に現れた症状の顕在化が主体であるが、目前のものに何でも咬みついて攻撃したり、何でも口にしてしまう異嗜、後躯の不全麻痺、そのため一方の後肢の外側部を床面に接触させるような座位を示すなど、新たな症状の出現も見られる。この時期に癲癇様発作を起こして突然死することもある。興奮性の亢進、舌の不全麻痺、下顎の下垂による開口、喉頭麻痺に起因する吠え声の異常なども見られる。また、口腔内や食道に異物が存在するかのように口腔を気にする行動や、頚部を伸張させる症状が見られることもある。
 (エ)麻痺期:意識が薄れ、横臥し、呼吸不全によって死亡する。流涎はこの時期に認められる傾向がある。
 (オ)狂騒型狂犬病と麻痺型狂犬病:急性神経症状期が顕著に見られる狂騒型狂犬病以外に、前駆期から麻痺期に移行する麻痺型狂犬病もある。実際には両者を明確に分けることは困難なことが多い。また、過去にワクチン接種歴のあるイヌが狂犬病を発症した場合、麻痺型の経過をたどりやすいといわれている。

2.獣医療機関における診断(臨床診断)
狂犬病は現在わが国で発生していないことから、生来国内で飼育されているイヌや、輸入歴があっても6カ月以上国内で飼育されているイヌは狂犬病ウイルスに曝露する危険性が極めて少ないことから、狂犬病の臨床診断の対象から除外することが可能と考えられる。狂犬病は多病巣性の神経病なので、症状はさまざまである。したがって、狂犬病の臨床診断においてはヒトへの咬傷の有無や、特定の臨床症状についてのみに注目せず、臨床経過を含めて総合的に臨床症状を検討していくことが重要である。

 (ア)問診
飼育者が飼育するイヌの異常に気づいて診療施設に連れてくる時期は不定なので、診療するイヌが狂犬病であっても狂犬病のどの時期に当たるかは一概にはいえない。狂犬病は前駆期においては非特異的な症状を呈するところから、診療施設に来院した動物の症状にかかわらず、受付でカルテを作成する時点で、当該犬の由来、特に狂犬病流行地との関連について必ず問う必要がある。また、狂犬病予防接種を適切に受けているかも忘れずに確認することが大切である。すなわち、狂犬病流行地との関連がないか、関連があってもワクチン接種が適切に行われていれば、当該犬が狂犬病に罹患している可能性は小さいと判断することが可能と考えられる。逆に患畜に本病流行地との関連があるか、ワクチン接種が適切に行われていない場合、当該犬が狂犬病を発症している可能性について慎重に診断をする必要がある。

以上のように問診の段階で当該犬が狂犬病に罹患しているか否かをある程度抽出することが可能である。

 (イ)鑑別診断
当該犬に行動異常、性格の変化等の他、何らかの神経症状が見られる場合は、狂犬病を常に意識して鑑別を慎重に行うべきである。鑑別診断として重要な疾病は以下のとおりである。

 (1)中枢神経系の症状を呈する感染症:イヌジステンパー症(表1)、ネオスポーラ症、破傷風、仮性狂犬病、クリプトコックス、トキソプラズマ症など。
 (2)中毒:ストリキニーネ中毒、有機リン中毒、エチレングリコール中毒など。
 (3)その他:ライソゾーム蓄積症、水頭症、熱射病、腎不全、脳腫瘍など。
 (4)他の症状と紛らわしいために注意すべき症状
  ・前肢で口を引っかく症状:口腔内異物を疑って、口の中を覗いたり、手を入れたりすることはたいへん危険である。
  ・首を伸張して苦しそうな呼吸:飼い主は甲状軟骨を触って異物の存在を疑うことがあるので注意が必要である。

3.接触についての留意
狂犬病に罹患したイヌは発症の3〜7日前からウイルスを排泄することが知られているので、本病を疑った時点から非接触での観察(視診)が必要である。しかし、疑いが薄いと判断して接触をする際にも、顔や頭部を咬まれたり、傷口を舐められたりしないような狂犬病を意識した基本的な防御は行うべきである。

4.行政との連携
狂犬病予防法第8条において、狂犬病のイヌ等や狂犬病の疑いのあるイヌ等、またはそれらに咬まれたイヌ等について、これを診断し、またはその死体を検案した獣医師は直ちにそのイヌ等の所在地を管轄する保健所にその旨を届け出るよう規定されている。保健所への届出を遅滞なく行うためには、普段から保健所と情報交換を行うなど、連携を図っておくことが大切である。また、狂犬病が疑われる場合には、早い段階で保健所と相談をしながら狂犬病の診断を進めることも必要であろう。さらに狂犬病臨床診断および本病であった場合の措置等を円滑かつ確実に行うことができるよう、臨床獣医師と公衆衛生に従事する獣医師はともに平素から本病についてよく学ぶ機会を持つよう提案したい。

 参考図書
1)狂犬病対応ガイドライン2001, インフラックスコム社
2)高山直秀, 狂犬病 忘れられた死の病, 時空出版
3)並河和彦(監訳),器官系統別 犬と猫の感染症マニュアル, インターズー
4)上木英人, 東京狂犬病流行誌(復刻版)、時空出版
5)狂犬病説,陸軍文庫
6) Kraus et al ., Zoonoses, Infectious Diseases Transmissible from Animals to Humans

佐藤獣医科 佐藤 克

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