1.はじめに
都道府県、保健所設置市および特別区(以下「都道府県等」という。)の公衆衛生部局に属している獣医師は、「公衆衛生獣医師」と呼ばれている。公衆衛生獣医師が携わっている主な業務は、動物衛生、食品衛生、生活衛生、と畜検査、環境、感染症対策等があり、狂犬病対策は、都道府県等によって若干異なるが、動物衛生または感染症対策を行う部局が担当している。狂犬病対策の最前線としての保健所や動物愛護センター等には、公衆衛生獣医師の中から任命された「狂犬病予防員」が配置されており、犬の登録・狂犬病予防注射の推進、未登録・未注射犬の捕獲等の業務に従事している。なお、公衆衛生獣医師は、飼育動物を対象とした行政を担当しているため、本稿で使用している「動物」は、飼育動物に限定した。
2.狂犬病対策の現状と課題
1958年以降、わが国において狂犬病の発生をみなくなった一方で、1960年頃からは、高度経済成長に併せて増加する飼い犬による人への侵害が大きな社会問題となり、狂犬病対策に代わって飼い犬による事故防止対策が動物衛生行政の中心となってきた。さらに、欧米から始まった動物愛護活動がわが国でも盛んになってきたことを受け、1973年には「動物の保護及び管理に関する法律」が公布され、都道府県等の動物行政にとって動物愛護管理は避けて通れない行政分野となり、動物衛生行政における狂犬病対策が占めるウエートが低くなっているように感じられる。しかし、輸入動物の増加、不法上陸犬の存在といった狂犬病侵入リスクが高くなりつつあることから、2004(平成16)年度の厚生労働科学特別研究事業「我が国における狂犬病予防対策の有効性評価に関する研究」によって都道府県等で実施されている狂犬病対策の有効性評価が行われたが、犬の登録率、狂犬病予防注射実施率の低下に加えて、次のような課題を抱えていることが明らかとなった。
(1)行政関係者の狂犬病に対する危機意識の低下
(2)都道府県等における狂犬病検査体制整備の遅れ
(3)狂犬病発生時に備えた対策マニュアルの未整備、等
また、昨(2006)年には2例の輸入狂犬病の発生があり、狂犬病の国内発生防止対策の重要性が再認識されたことから、都道府県等にとって狂犬病対策が益々重要な行政課題となっており、動物愛護管理との一体的な取り組みが必要となっている。
3.狂犬病対策と動物愛護管理
昨(2006)年、中国で発生した犬の大量殺処分事例は記憶に新しく、わが国のような狂犬病対策が講じられていない中国において、やむを得ない対応だったとも理解できるが、動物愛護面で国内外から多くの批判があったことも事実である。この事例を含め、一般的に狂犬病対策と動物愛護管理とは相反するものであると思われがちであるが、決してそうではなく、動物愛護管理を公衆衛生面から考えることにより、一体的に推進できるものである。この考え方を以下に述べてみる。
動物愛護管理の最終到達点である「人と動物の共生」を公衆衛生面、言い換えれば人の健康問題という視点から考えた場合、真に人と動物が共生するためには、動物が人にとって有益な存在であり、有害な存在であってはならない。動物が人に及ぼす影響にはプラス面とマイナス面があり、その関係は図に示すとおりである。動物が人にとって有益な存在として認められるためには、プラス面の積極的活用とマイナス面の対策強化が必要である。
狂犬病対策は、このマイナス面対策であり、これを強化することにより、前述の中国で発生したような不必要な犬の処分を防止することが可能となり、動物愛護に繋がっていくこととなる。
4.公衆衛生獣医師の役割
わが国において狂犬病を撲滅できたのは、行政、研究、臨床など、多くの関係者の努力によるものであることはいうまでもなく、将来ともこの状況を維持することが、現在狂犬病対策に携わっている者の責務である。そのために、公衆衛生獣医師は、人の健康を守るべき立場である公衆衛生関係者の一員であることを自覚し、動物衛生行政の中心となりつつある動物愛護管理を公衆衛生面から捉え、マイナス面対策の一つとして狂犬病対策を強力に進めるべきである。また、前述した狂犬病対策に関しての課題を解決することも、都道府県等に勤務する公衆衛生獣医師の重要な役割であると考える。課題解決に関して公衆衛生獣医師が行わなければならないと思われる主なものは次のとおりである。
(1)狂犬病に対する危機意識の高揚
(2)市町村職員、臨床獣医師、医療関係者、動物飼育者等への狂犬病に関する正しい知識の啓発
(3)狂犬病検査体制の整備・充実
(4)狂犬病発生時に備えた対策マニュアルの作成とマニュアルに沿ったシミュレーションの実施
さらに、最近は、行政や研究機関の縮小化が進んでおり、拡大の一途をたどる動物由来感染症の対策に追いつけない状況が危惧されるため、狂犬病などが発生した際の近隣府県の行政・研究機関の協力体制の構築が必要となっている。このような連絡体制を構築することにより、わが国における狂犬病対策の充実と、従事する公衆衛生獣医師の意識高揚も併せて図れると考える。
兵庫県動物愛護センター動物管理事務所 沼田一三