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岡山県では昭和47年7月三混ワクチン(DPT)接種による副作用で幼児の死亡事件が発生し,昭和48年4月以後三混ワクチン接種が中止された。そして昭和50年4月頃より百日咳様症状を示す幼児が県南を中心に散発的に見られるようになり6月に入ると急激に増加した。このようなワクチン中止による経年的な百日咳患者発生数は関係者により注目されていた。そして昭和50年以後患者は年々増加の途を昇り,昭和52年には岡山県衛生統計資料に記載された届出数でも241人となっている。この数字はほんの氷山の一角であり県下で実際に発生した百日咳患者数については推定する事すら難しい多数の患者が発生し,流行の流れは一年を経過した51年6月には人口密度の低い県北にも浸淫して行った。昭和50年6月これら患者より百日咳菌を分離し流行を確認し,血清型1,3,(4),6と決定された。昭和50年このような大流行に危機感を感じた関係各機関はワクチンの再開についての討議を始め昭和52年10月市町村自治体の責任においてDPTワクチンの再開が決定された。そして53年には県下7市町村が新たに加わり全県下81市町村中25市町村(約30.9%)がワクチンを実施している現状である。私達のデーターでは患者371人中ワクチン歴不明の42人を除き全て非接種者か不完全接種者であった。このようなワクチン中止による患者発生数は年々増加し,岡山県感染症情報システム推進要領に基づき収集された県下4定点(県南北各2定点)の患者数は表1の通りである。
このような発生状況下で採血された患者及び流行予測調査で検査した百日咳菌抗体価測定件数は52年より55年までの4年間で678件でありこの4年間の血清抗体価の分布は表2のとおりである。
本県におけるワクチン接種再開に伴う患者数の減少についての具体的数字は未だまとまっていないが,感染症情報システムの1.ステーションである総合病院岡山赤十字病院小児科の話によると55年秋以来殆んど百日咳らしい患者を診察していないといわれており,56年度には再開地域における患者発生数は激減して行くものと推察される。Sakoによれば感染防御抗体320倍以上といわれているが,私達のデーターでは320倍以上の抗体価を有するものは両抗原の平均で約2.5%であり,Sakoの説が正しいとすれば残る97.5%は再感染の可能性があるわけであるが,これら児童が再感染しているか否かの追跡調査は行われていないが実際の感染防御抗体はSakoの値より低いのではないだろうか。
岡山県環境保健センター 井上正直
表1.年次別患者発生状況
表2.百日咳菌血清抗体価の分布
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