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英国−1979年8月4日,ある病院の産院において帝王切開で一人の男子が誕生した。一日後無数の小さい膿疱と水疱でおおわれ,膿疱のふきとり物からB. cereusが純培養に分離された。つづいて8月10日と20日との間,同じ産院で5つの件についてB. cereusが分離された。それは生後2日と7日の女児にみられた都ticky eyes煤i分泌物でねばりついた目),異常とは報告されなかった生後3日の女児の目,生後3日の女児の臍帯,生後5日の黄疸のある女児の鼻腔分泌物である。
保育器のルチーンのふきとり検査で,8月1日以後にはBacillusが陽性になったことに気がついたが,はじめは種の同定まではしなかった。8月13日と26日の分離株についてはB. cereusであることが確認された。これらの分離株のうち3株について血清型検査を実施したところ,そのひとつは11血清型で他は型別不能であった。
しかし,もしその後9月6日と10月4日の間,さらに6つの機会に感染新生児からB. cereusが分離されなかったならば,以上のような菌分離はことさら関心を呼ぶことがなかったかもしれない。
それらの分離株は,臍部の炎症の3件と,上気道の感染の疑われる症例の鼻分泌物のふきとり3件からであった。これらの株のうち5つは11型の血清に強い凝集をおこし,15型とは弱く交又凝集する異常な血清型を示した。9月17日,保育器のふきとりから同じ血清型のB. cereusを分離した。
その後10月29日に保育器のルチーン検査で同一血清型の菌が分離されたが,それ以来もはや感染の報告はなく,翌年2月に黄疸の7生日の男子の鼻からの分離株は型別不能であった。
同じ病院内での交又感染を警戒して,9月15日に40才男子の胃切除患者の排液から分離されたB. cereusをしらべたが,型別不能であり,また,10月30日と11月4日の間に,透析液や手術後排液から分離された3株は,4型であった。
ちなみに,1年前の1978年8月に,この病院ではB. cereusの頻回集中分離があったが,とくに注目すべき顕著な事象とはむすびついていなかったことが思い出される。
興味あることに,B. cereusの11型原株は重症の新生児感染の一症例から分離されたものである。ロンドンのセントメリー病院において1976年に臍帯炎から分離されたものも,オーストラリアのパースにあるプリンスマーガレット小児病院において1980年3月に,呼吸障害のある一早産児の直腸内容から分離されたものもいずれも11/(15)型であった。
11型は種々の食品から分離されるが,食中毒と関連をもったことはこれまで一度もなかった。また,新生児感染と因果関係を疑せられたものは11/(15)のみであった。上述の新生児分離株はすべてレベル4に属する皮膚試験毒性パターンを示した。
今回の例は,食中毒以外の記録において,B. cereusによるヒトの感染の集団発生を示す最初のものであろう。この微生物によって牛の乳房炎が周期的におこっているとする証拠もある。11/(15)型と新生児感染とが本当に関係あるのか,また,その感染においてこの異常な型の菌がどこからくるのかといった問題は,いずれ時間が解決してくれるであろう。
(WHO,WER,No.12−27,March,1981)
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