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以前本誌で触れたことがあるが1981年のはじめから,急性出血性結膜炎(AHC)のパンデミーが起こっている。アフリカやインドの旅行は10年目再度の旅行であるのに対し,アメリカ大陸は今回はじめて流行に巻きこまれた。
最近ではフィジー,サモアなど南太平洋諸島で大流行しており,サモアでは島民の95%が罹患したということで,世界全体の患者数は数千万人以上の莫大なものになるであろう。インフルエンザを除いては近年このような大きなパンデミーの起こったことはない。今のところ流行が報ぜられていない大陸はオーストラリアだけであるが,早晩波及するのではなかろうか。
筆者はさる1月末インドのボンベイを訪ねた。目的は同地においてAHCの神経合併症をはじめて発見したN. H. ワディア博士と共同研究論文の執筆打ち合せであった。インドでは昨年中推定3000万人のAHC患者が発生し,そのうちから約1000人のポリオ様麻痺が合併症として発生した。患者の大部分は成人男性であったことは前回同様だが,今回は比較的顔面麻痺など脳神経を侵された者が多いのが特徴的で,それを反映して筆者が前回の流行で指摘したごとく,AHCから麻痺までの期間が短いものが多かった。
今回の流行の研究上の新知見は神経合併症のある患者の大多数で脊髄液中にエンテロウイルス70型(EV70)に対する抗体を証明した点で,EV70の神経病原性が以前よりさらに明確化した。
神経合併症の発生は,アメリカの流行などでは気付かれていないが,単なる見逃しか,他の何らかの理由で差があるのか今のところわからない。インド以外では,最近韓国の京城と大邱のドクターから連絡があり,AHC後のポリオ様麻痺がそれぞれ30名と8名発生したので血清と髄液を送るから調べてくれという連絡があった。前者の分はすでに検査を終わり,EV70の血清中和抗体上昇が証明されたので,本症であることが確実と思われる。
日本国内では,厚生省感染症サーベイランス情報によっても昨年はAHCの発生が多く,宮崎県のように学級閉鎖まで行ったところもある。ところで,現在までわが国においてEV70によるポリオ様麻痺の発生はどうかというと,九大の黒岩らが1976年九州に起こった第1例(33才女性)を報告している(神経内科7:87,1977)。第2例は北大坂田らの報告(眼科22:1349,1980)で1978年北海道でみられたものである。これは61才の男性である。最近筆者は恐らく確実と思われる2例に遭遇した。1例は日大の高須教授が診断した患者である。もう1例は静岡県の島田市民病院の越智氏がみた例である。したがって計4例となるが,この他やや不確実なものに桑名の眼科医岡和田氏らが筋電図的に証明される潜在性神経障害を発表している(臨床眼科32:1329,1978)。実際にはもっと多数が発生していて診断がつかずにいると思うが,インドに比べると遙かに少数なのは事実である。台中で洪祖培教授と筆者らが行った共同研究では,血清疫学的にみた人口集団の中和抗体陽性率から,EV70の感染率を割り出して推計するとAHCの10000ないし17000例に1例の麻痺が起こるという計算になった。
今後はどうなるであろうか。インドの症例をみると,AHC患者との接触はあるが患者本人に既往歴のない例,麻痺の方がAHCに先行するか,ほぼ同時に起こっている例があり,EV70の感染ルートに変化が起こりつつあるような印象がある。
今後の動向に注意しなければならないと思う。
甲野 礼作
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