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発病初期に適切な治療がなされれば「カゼ」よりも簡単に治ってしまう病気でありながら,恙虫病は「β−ラクタム系の投与」では往々にして悪化の一途をたどる。
表は,1976(昭和51)年以降の恙虫病届出数について,1983,84,85年の3回にわたって,全国各都道府県の衛生担当課や衛生研究所にアンケートをお願いした結果である(一部の県は無届確認者の追加,または届出後の否定例削除を含むので厚生省の伝染病統計とは異なるところがある)。数年来の「恙虫病対策」は年間の届出数の増多に繋がり,クロラムフェニコール(CP)全盛時代の1969年の年間わずか3名の300倍以上に達するようになった。また恙虫病発生未確認府県は1985年12月現在において,東日本では北海道,西日本では大阪,奈良,和歌山,鳥取,岡山,山口,四国の瀬戸内側3県,九州の福岡と沖縄の計12道府県を残すのみとなった。今や恙虫病は限られた地域の風土病ではなく,全国的に年々その確認数が増えると共に,確認地域も拡がり続けている重要な感染症の一つとなっている。しかも致死例や重症例はむしろ新しい確認地域で多くみられており,逆に,啓蒙が進み,検査体制も整っている県ほどいわゆる多発県とみなされているのであって,こうした地域では,恙虫病は「季節到れば毎年現れる,すぐ判り,すぐ治る病気」の代表とさえ思われるようになってきている。
造血系への副作用のためCPが規制された1976年以降,恙虫病届出数が急増した。ただしこれは「CPがなくなったから恙虫病が増えた」のではなく,「CPがなくなったことによって簡単には治らなくなり,それに加えて,啓蒙と診断技術の進歩がそれまでの潜在疾患を浮き彫りにさせた結果,届出数が増加してきた」と考えられる。
一方において,この病原体を媒介するツツガムシの生態やその分布についての研究も各地で進展し,我が国での媒介ツツガムシの季節的,地域的な相違や分布も急速に明らかになってきている。すなわち,古来唯一の媒介虫とみられていたアカツツガムシによる恙虫病はごく一部(1〜2%)にすぎず,これに反して,フトゲツツガムシは春と秋の東日本特に東北や北越地方の発生を支配し,タテツツガムシは房総〜伊豆諸島〜東海地方から九州のほぼ全域にわたる秋〜冬の発生に関っていることが明らかにされている。このことからみても,現在の恙虫病届出数の増多は古典的な恙虫病すなわちアカツツガムシ媒介性恙虫病の病原そのものが復活蔓延してきたものではなく,以前にはまだ十分には知られていなかった,媒介虫の異なるいわゆる新型恙虫病すなわち非アカツツガムシ媒介性恙虫病の実態に近付きつつある過程の現れであろうと考えられる。
恙虫病は確かに重い感染症の一つである。ただしそれは早期に適正な治療が行われなかった時に限るのであって,テトラサイクリン(TC)系またはCP系の薬剤の早期投与は,本病を頓挫せしめるのみならず,β−ラクタム系の使用によって治癒が遅れた重症例でさえも治療の変更によって劇的な軽快治療に導き得る。
我々が1980年以来,免疫ペルオキシダーゼ法(IP)による,恙虫病リケッチアに対するIgG・IgM抗体の完全同時測定による迅速診断法を各地の衛研に伝えると共に,全国各地の一般医療機関からの恙虫病確定診断の求めに応じてきている理由もここにあるのであって,早期診断・早期治療の普及こそが,現時点で採り得る実行可能な,最も経済的でしかも有効確実な恙虫病対策であろう。
終りに当たり,たびたびのアンケートに御協力戴いた各都道府県の衛生担当課並びに衛生研究所の各位に厚くお礼申し上げます。
秋田大学医学部微生物学教室 須藤 恒久
都道府県別・恙虫病の確認または届出患者数
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