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1994年8月以降,インドの西部を中心に肺ペストおよび腺ペストが流行している。日本では大正15年神奈川県で報告されたペスト患者を最後に現在までペストの発生はみられていない。インドにおける流行は現在,沈静化の方向に向かっているようだが,公式の終息宣言がでるまでは日本へのペスト患者あるいはペスト感染ネズミの侵入に対する監視体制を整えておくことが必要であろう。以下にペストの病態,検査方法,注意事項などについて簡単にまとめたので参考にして頂きたい。
1.ペスト菌(Yersinia pestis)の主な感染経路
ア)感染したノミによる咬傷
イ)感染動物を取り扱い中に傷口からの侵入および感染性エロゾールの吸引
ウ)肺ペスト患者からの感染性エロゾールの吸引
2.潜伏期
一般的に2〜7日
3.症状
発熱(38℃以上の高熱),悪寒,頭痛,不快感,筋肉痛,疲労衰弱
特徴として
腺ペスト時には,鼠径部,腋窩,頸部リンパ節の痛みを伴う腫脹
肺ペスト時には,咳,呼吸困難,血液を伴う痰
敗血症型の時は,局所症状無くして急激なるショック
4.検査材料および検査
臨床症状およびペスト流行地への渡航歴,齧歯類に寄生しているノミによる咬傷の有無などからペストであることが疑われるときには,以下の材料を採取し検査を行う。採取後直ちに治療を開始する(緊急の場合には治療を優先させ,治療前後の抗体価検査でペストであることの確認をする)。ペスト患者である疑いの場合には伝染病予防法第3条に基づいて直ちに保健所に届ける。
(1) 検査材料
ア)血液(静脈血):約3ml採取(抗凝固剤を使用しない方がよい)後速やかに血液培養ビンおよび普通ブイヨンに接種する(時間をおいて数回採取するのがよい)。抗体検査用にも採血管に採取(約5ml)し自然凝固させる。
イ)喀痰:滅菌喀痰採取容器にできるだけ多く取る。
ウ)リンパ節吸引液:滅菌試験管に採取。
これら検体をシールし,ビニール袋などに密封後,保冷(10℃以下)し輸送用バッグ,コンテナ(防疫用)を用い,速やかに検査できる機関(衛研等)に届ける。検体送付用紙および調査票(旅行経路,症状,症状出現の日時,場所など)をつける。
(2) 検査
ア)すべての材料について塗抹標本を作製し,Wayson染色後鏡検する。ペスト菌は特徴ある染色像(極小体)を示す。{fraction 1(Fra)に対する蛍光抗体で染色する方法もあるが,全衛研に配布できるほどの試薬の量がない。緊急の場合は予研に検体を届けて下さい。}
イ)検体を血液寒天培地および液体培地に接種し,培養する。分離された菌の生化学的性状を調べる(また,37℃培養菌を用いて,Fraに対する抗体で凝集反応を調べることもできる。この抗体は現在予研で調整中である)。
ウ)可能ならばPCRによりペスト菌に特異的な遺伝子(plasminogen activatorとFra)の有無を調べる。
ペスト菌の最終確認は国立予防衛生研究所に依頼する(臨床検体の取り扱いは,一般的にはバイオセーフティーレベル2で行うが,臨床診断からペストが強く疑われる場合には最初からレベル3の施設で取り扱うのが望ましい。その場合,臨床材料からの検査を直接予研に依頼することもできる。ペスト菌と同定された菌はレベル3として取り扱う)。
5.治療の参考(WHOおよびCDCの提唱より)
患者に対して
ストレプトマイシン:すべての型のペストに対し最も効果があるが,副作用があるので,過度の投与はさけること。
(大人)2g/日,12時間毎,筋注,臨床症状が改善するまで
(小人)30mg/kg/日,12あるいは8時間毎,筋注
テトラサイクリン:腺ペストおよび肺ペストに効果がある。
(大人)2g/日,6時間毎,経口
(小人;9歳以上)20〜50mg/kg/日,6時間毎,経口
オキシテトラサイクリン:テトラサイクリンと同様な効果がある。
(大人)300mg/日,12あるいは8時間毎,筋注あるいは経口
(小人;9歳以上)250mg/日以下の量,12あるいは8時間毎,筋注あるいは経口
クロラムフェニコール:ペストによる髄膜炎を起こしている時に用いる。50mg/kg/日,6時間毎,静注あるいは経口(1歳以下の乳幼児は医者の指示による)。
治療期間:原則的にすべてにおいて10日間を越えないこと。
6.抗生物質の予防投与の参考(WHO,CDCによる提唱より)
以下の人に対して抗生物質の予防投与が勧められる。
ア)患者と直接接触した人
イ)肺ペスト患者に接近した人
ウ)腺ペスト患者に接触する家族
エ)検査室内の事故でペスト菌に汚染された人
テトラサイクリン(治療に用いるのと同量)かST合剤(SMX量で40mg/kg/日,12時間毎,経口),7日間以内の投与が用いられる。医師の指示に従うこと。
7.ペストワクチン(ホルマリン処理死菌ワクチン)
ペストワクチンは腺ペストによる死亡率をある程度低下させるが,肺ペストに対してはほとんど効果が認められない。また,ワクチン投与により免疫を獲得するには数回の投与が必要であるし,その免疫持続期間は6カ月以内と短い。したがって,ワクチン投与による集団防衛や流行の制御は期待できないと考えるべきであり,このワクチンは流行地での医療従事者や患者検体を取り扱う検査技師など,濃厚な菌に暴露され感染の危険性の高い人を対象にすべきであるとWHOは勧告している。
旅行者などでワクチンを希望する人には,上記のことをよく説明し危険地域への旅行をさけることをまず説得すべきである。
また,ワクチンを投与する場合には,副作用があることもよく説明すべきである。
8.注意事項
インドへの旅行者への注意
ペストの発生が報告されている地域に出かけないこと。その地域にどうしても行かなければならない人は以下のことを注意すること。
ア)感染ネズミの報告のある地域(特に死亡したネズミが発見された地域)はさける
イ)ノミにふれる可能性のある部位および箇所に昆虫忌避剤や殺虫剤を使用すること
ウ)死亡している,あるいは病気の動物にさわらないこと
エ)感染性のものに暴露される危険性の高いときには抗生物質の予防投与を受けること
オ)ワクチンにより感染防御抗体価を最大限に上昇させるには,数回の投与が必要なので,緊急時の効果は期待できない(ワクチンによる副作用があるので投与希望者にはその旨の了解を取ること)
インドから日本へ入国する人への注意
インド出発後7日以内に発熱を伴うペスト様症状がある場合には即時に医療機関に受診すること。
医師に対する注意
ア)ペスト発生地域に旅行してきた人で発生地域出発後7日以内に発熱を伴う症状のある人にペストの兆候があるか否かを注意深く調べること
イ)ペストの疑いのある人は感染症病棟のあるところに入院させ,以下の処置をすること確定患者は隔離病舎に収容する
・ペスト菌検出の検査用の材料を採取する
・胸部レントゲンを撮る
・抗生物質の投与を行う
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