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Vol.17 (1996/5[195])

<国内情報>
わが国で分離されたアデノウイルス7型の分子疫学−広島市


 1995年5月以降,国内各地からアデノウイルス7型(Ad7)が分離され,全国的な広がりをみせている。我々は,@国内各地の流行株の異同,A流行ウイルスの起源,B全国的な流行となった要因等を明らかにすることを目的として,過去の分離株を含め,わが国で分離されたAd7を中心にウイルスDNAの制限酵素切断解析を行ったので報告する。

 解析には秋田県,山梨県,横浜市,愛知県,奈良県,京都市,広島市および中国(札幌市衛研より1991年に分与)の分離株計41株およびAd7プロトタイプ(Ad7p,予研分与),Ad7a(ATCC,愛知衛研分与)を供試し,表に示す9種類の制限酵素を用いて,切断パターンを比較した。

 解析の結果,1995年の国内各地の分離株はすべて同じ切断パターンを示した(表)。それらのパターンのうち,Bst E Uを除く8種類の制限酵素によるパターンは1992年以前の国内分離株および中国分離株のそれと同一であった。Bst E Uの切断では,1995年の株は1992年以前の株にみられる約4,300bpと約4,000bpの断片が消失し,新たに約8,300bpの断片がみられ(図),異なるパターンを示した。その変化は,断片の大きさから,前2者間のBst E U siteが消失し,約8,300bpの断片が生じたことによるものと考えられた。次に標準株との比較では,分離株はすべてAd7pとは異なるパターンを示した。Ad7aとの比較では,分離株のBgl U,Sac Tの切断パターンおよび1992年以前の分離株のBst E Uの切断パターンはAd7aのそれと同一で,他のパターンは異なった。また,1992年以前の国内分離株と中国分離株はすべて同じパターンを示した。さらに,分離株のパターンを世界各国のAd7について解析したLiら1),Adrianら2)の結果と比較すると,1992年以前の株(遺伝子型:Ad7b)はLiらが中国の分離株のみから検出した7dと同一と考えられたが,1995年の株(Ad7c)に一致する遺伝子型はみられず,Ad7cは新しい遺伝子型と考えられた。

 以上の結果は,1995年に分離されたAd7が過去の国内流行株あるいは中国流行株のいずれかを起源とし,それらの株から若干の変異を伴う新しい遺伝子型のウイルスであり,出現後急速に全国的に広がった可能性があることを示唆している。一方,全国的な流行となった要因については,抗原性,病原性等のウイルス側の要因の他,Ad3との交差免疫を含む集団免疫レベルの低下等の宿主側の要因などいくつか理由が考えられるが,現時点では明らかでない。ウイルス側の要因に関して,今回明らかとなったAd7bとAd7cとの間のBst E U siteの変化は,Adrianの報告した2)制限酵素地図に基づくと,宿主の免疫機能に関与する種々の蛋白をコードするE3および受容体結合蛋白であるFiberをコードするL5の両遺伝子が位置する付近の変化であると考えられ,興味深い。

 最後に,Ad7標準株および分離株を分与いただきました各研究所の諸先生方に深謝いたします。



文献

1)Li et. al., J. Virol.(1986)60:331-335

2)Adrian et. al., Arch. Virol.(1989)106:73-84



広島市衛生研究所
野田 衛 桐谷未希 阿部勝彦 池田義文 山岡弘二 荻野武雄


表 わが国で分離されたアデノウイルス7型のDNA切断解析結果
図 アデノウイルス7型のBst E U切断パターン





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