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1995/96シーズンの埼玉県におけるインフルエンザ様疾患の流行は,全国的な動きとほぼ同様の推移を示した。すなわち,1995年11月中旬頃から患者報告数が上昇し,1996年1月下旬にピークに達し,その後4月中旬頃まで漸次減少していった。分離ウイルスも全国と同様,シーズン前半はA(H1)型が分離され,2月中旬からはA(H3)型が主流を占めた。そのような状況の下,最も遅いと思われる集団発生の事例に遭遇したので概要を報告する。
流行がほぼ終息したと思われた5月の連休後に,浦和市内の某中学校(生徒数698人)においてインフルエンザ様疾患が流行し,欠席者が多数に及んでいるとの連絡が校医からサーベイランス定点を通して当所に入った。まず5月13日に1年生の1クラスで13人が欠席したため全員早退となった。同日の全校の欠席者は50人(うち1年生38人)であった。翌14日には全校で66人(うち1年生49人)と欠席者はピークに達し,15,16日は全校で50人となり,その後は減少していった。学校側によると,5月10日に2年生で1人発熱(39.5℃)を認めた者がおり,初発患者と思われるとのことであった。またこの期間には,13日に朝礼(体育館に全校生徒が集合)があり,15日には検診のため全校生徒が1年生から順に保健室へ出入りしていた。なお,症状はいずれも発熱(37.8℃〜39.2℃),咽頭痛および咳などのインフルエンザ様のものであるが,冬期に見られる症状に比べて軽症で,生徒は発症後2日程で下熱し登校を再開していた。
当所では,5月17日に当該中学校において発症生徒6人から咽頭ぬぐい液を採取して,溶血性レンサ球菌およびインフルエンザウイルスを主眼において検査したところ,全例からA(H3)型ウイルスが分離された(溶血性レンサ球菌は陰性)。また,別にサーベイランス定点を受診した同校の生徒からもA(H3)型ウイルスが分離された。なお,採血は実施できなかったので,血中HI抗体の動きは確認できなかった。
インフルエンザ流行シーズン終期もしくはシーズン外に分離されたウイルスが,次のシーズンの流行ウイルスを探る鍵となることは,従来から言われている。当所では分離ウイルスをインフルエンザセンターへ送付し抗原分析を依頼しているところである。
埼玉県衛生研究所
島田慎一 渕上博司 井上 豊 篠原美千代 内田和江 後藤 敦
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