国立感染症研究所 感染症情報センター
ホーム疾患別情報サーベイランス各種情報
研修

 

 


平成17年度危機管理研修会 > プログラム 7     次へ →


「新型インフルエンザに対する危機対応 −事前準備計画と対応行動計画−」
国立感染症研究所ウイルス第三部 部長 
田代 眞人   


1.新型インフルエンザ大流行の可能性

ヒトのA型インフルエンザウイルスはすべて鳥インフルエンザウイルスに由来する。現在ヒトの世界で毎年流行しているインフルエンザウイルスは、鳥ウイルスに由来した過去の新型ウイルスの子孫である。ヒトの新型インフルエンザウイルスは、鳥のウイルスとヒトのウイルスがヒトやブタに同時に感染して遺伝子の交雑が起こったり、突然変異の蓄積によって生じる。従って、鳥インフルエンザが鳥の間で拡がっている限り、ヒトの世界に新型インフルエンザが生じる可能性がある。


過去の新型インフルエンザはすべて鳥の弱毒型ウイルスに起源を持っていた。鳥の弱毒型ウイルスはヒトに感染しても、呼吸器に限局した通常のインフルエンザ、重症化しても肺炎を起こす程度の病原性である。これに対して、平成16年初めから東アジアを中心に大流行しているH5N1型高病原性鳥インフルエンザでは、ニワトリに加えて、カモなどの水禽類、野鳥、トラ、ネコ、ネズミなど多くの哺乳類で致死性の全身感染が起こっている。ヒトでも100人を越える感染患者が出ているが、重症肺炎、下痢、出血傾向、多臓器不全、脳炎などの全身感染症状を呈して、70%を越える致死率を示し、もはやインフルエンザとは言えない新しい重症疾患である。

2005年7月以来、渡り鳥によって運ばれたH5N1型インフルエンザは、シベリアのニワトリやアヒル、ガチョウに感染を拡げ、更にヨーロッパへと拡大しつつある。ニワトリなどでの流行が続けば、ヒトへの偶発的な感染例が増え、ヒト型インフルエンザとの遺伝子分節の交雑や遺伝子突然変異によって、ヒトの間で伝播流行する新型インフルエンザウイルスに変身する危険性が高まる。高い致死率をもつ高病原性の新型インフルエンザが大流行すれば、想像を絶する事態も予想される。

一方、低病原性のH9N2型などの鳥インフルエンザも広く鳥、ブタに伝播しており、偶発的な人への感染事例も起こっている。このように、全世界を巻き込む新型インフルエンザ大流行はいつでも出現する可能性があり、これに備えて地球レベルでの対策が必要である。WHOはじめ各国でも新型インフルエンザを健康危機管理対策の最優先課題の一つとして準備を行っており、我が国においても厚生労働省を中心として、大流行への事前準備の実施と、大流行の際の緊急対応計画の策定が進められている。

2.パンデミックにおける健康被害と社会的影響

A型インフルエンザでは、数十年に一回の割合で新型(正確には新亜型)のウイルスがヒトの世界に出現してくる。ほとんどの人は過去にこのウイルスの感染を受けた経験が無いので免疫を持っていない。従って、地球全体で25〜40%の人が感染を受けることが予想され、大流行となる。更に、感染者の呼吸器では、既存の免疫は新型ウイルスの増殖抑制には全く働かないので、重症化や合併症によって死亡する患者が増加する。この様に、新型ウイルスによるインフルエンザ大流行は、質・量ともに大きな被害をもたらすこととなる。

20世紀では、1918年のスペインインフルエンザ、1957年のアジアインフルエンザ、1968年の香港インフルエンザの大流行があったが、特に、東アジアで大きな流行が続いているH5N1型鳥インフルエンザは、新型インフルエンザの出現を危惧させるものである。  世界中で4000万人が死亡したと云われるスペインインフルエンザの当時と比較すると、現在は地球の人口及び人口密度が3倍以上に増加し、スラム化や難民が増加し、交通のスピードと輸送量は驚異的に発達して、地球環境や生活様式が大きく変化している。スペインインフルエンザが半年以上かかって世界を席捲したのに対して、SARSの事例などの類推から、現在では4〜7日で全世界に拡がると推定されている。

今後新型ウイルスが出現した際には、全世界ほぼ同時に短期間に集中した大流行が起こり、甚大な健康被害をもたらすことが予想される。感染患者と接触する機会の多い医療従事者が一番感染リスクが高いので、医療サービス全体の低下を招く。その結果、重症患者の急増、院内感染の拡大と医療スタッフ不足、ベッドや人工呼吸器など医療器材の不足などにより、緊急医療はもとより医療サービスの大幅な低下が起こる。更に、大流行開始時にはワクチンの供給は間に合わず、また抗ウイルス剤の備蓄・配備が不十分な場合には取り合いが起こり、社会的パニックが生じるかもしれない。過去の新型インフルエンザと同程度の病原性を持つ、鳥の弱毒ウイルスに由来した新型ウイルスの場合にも、これまで以上の健康被害が危惧されている。しかし、H5N1型などの高病原性鳥ウイルスに由来する新型インフルエンザが大流行した場合には、重症患者と死亡者は桁違いに跳ね上がることは想像に難くない。

これらの健康被害に加えて、様々な職種に従事する多数の人が同時に罹患することに起因するあらゆる社会活動への影響が生じる。特に、日常生活や社会活動の維持に不可欠な分野が影響を受けると大きな問題となる。たとえば、交通機関・物流機能の低下による通勤者の出勤停止はすべての社会活動を低下させ、食糧の生産供給停止による食糧危機、原油の生産・輸送の低下や発電所などの関連産業での活動低下によるエネルギー危機、それに連動したあらゆる生活関連産業の操業停止等が生じ、ライフラインの維持が困難になるであろう。ゴミ・廃棄物・下水処理などの環境維持サービスの停止、多数の死亡者の火葬・埋葬問題、警察・消防などの治安維持活動の破綻、さらには軍隊などの国防・国家安全保障体制の破綻など、高度集中化・分業化した現代においては、直接・間接的に社会活動や経済活動への危機的な影響が出ることが危惧される。また、通信・報道が滞ると、正確な情報が伝わらず、流言等が社会的パニックを助長するであろう。しかも、地震や台風などの局地的・一時的な自然災害とは異なって、インフルエンザ大流行は地球レベルで同時に起こるので、国外はもとより、国内においても他の地域からの援助やバックアップはほとんど期待できない。更に、新型インフルエンザでは、行政責任者なども無差別に罹患するので、通常の危機管理体制における指揮系統にも破綻が生じる可能性が高い。国際化の進展と共に、資源や資材の調達などの多くを多くの途上国に依存している現状では、途上国における健康被害の拡大は、先進諸国に対して直ちに経済的損害を与え、その結果世界的な大経済恐慌が生じることも指摘されている。

3.新型インフルエンザ対策

新型インフルエンザ対策の目的は、1)大流行出現時における健康被害を最小限に押さえるとともに、2)社会機能・社会活動の破綻を防ぎ、維持するという危機管理にある。そのためには、最悪のシナリオを想定して、普段からの十分な事前準備と大流行が起こった際の対応・行動計画を予め十分に確立し、実施しておく必要がある。  対策の根幹は、事前の準備として、新型ウイルス出現を速やかに把握し、その流行ウイルスの解明と流行規模を予測する監視体制(サーベイランス)を確立しておくことと、それに基づいたワクチンの緊急開発・増産・供給・接種政策が中心となる。更にワクチンを補うものとして、ノイラミニダーゼ阻害剤等の抗ウイルス剤の備蓄・準備が必要となる。ワクチンの緊急開発・増産には3〜5ヶ月はかかるので、流行の第1撃には間に合わないことが予想される。そこで、抗ウイルス剤の大量備蓄が必要となる。

一方、大流行による甚大な健康被害に対する医療サービスの提供などの緊急対応に加えて、多くの人が短期間に集中して罹患することによる社会活動の停滞・停止等を想定した対策を策定し、予め対応計画を準備しておく必要がある。後者に対しては、まず健康危機管理・社会危機管理の観点から、それぞれに実施主体の役割に応じた様々な対策が必要である。更に大流行による社会的混乱を想定して、中央政府による統一的指揮・対応が困難となる事態も踏まえて、各地方レベル、各事業所レベルなど、それぞれの対応行動計画について、十分な危機対応を図る必要がある。特に、新型インフルエンザに対するサーベイランスとワクチン接種政策、抗ウイルス剤政策は、毎年のインフルエンザ対策の確立とその有効な実績に基づいて考えなければならない。従って、大流行間期である通年のインフルエンザ対策の問題解決に帰結される。

4.パンデミック対策における国際的な動き 

WHOでは地球レベルでのパンデミック対策として、2005年にインフルエンザパンデミック計画を改訂した。パンデミックを広がりの程度に応じて6つの時期に区分し、各時期ごとにWHOの役割を規定し、また各国が独自に決定すべき準備項目や行動計画を勧告している。一方、2003年に、WHOは、主に先進国を対象としてきた従来の政策を見直して、1)全世界でのサーベイランスの充実、2)健康・経済的被害の実態解明、3)ワクチン接種の推進、4)パンデミック計画の確立、という4柱からなる全世界を対象とした新たなインフルエンザ総合対策計画を決定した。特に、パンデミック計画を実効あるものとするためには、パンデミックのみを特別に捉えるのではなく、普段からのインフルエンザ対策の確立とその実績に基づいて考えなければならないとの基本認識に立っている。具体的には、パンデミック計画の必要性の認識、各国のパンデミック計画の策定と実施、大流行間期におけるワクチンと抗ウイルス剤の使用促進、パンデミックにおけるワクチンと抗ウイルス剤の使用指針と公平な安定供給体制の確立、パンデミックウイルス・ワクチン・抗ウイルス剤その他の対策の開発研究、の5点を重点項目としている。今後これらの実施に向けた具体的検討を行うことになる。

一方、5年程前から、先進国を中心に新型インフルエンザ計画が策定されている。各国の事情や考え方の違いにより、これらの間には統一がとれておらず、地球レベルでの対策を見据えたパンデミック計画にはなっていない。2004年にはWHO総会が、地球レベルでの新型インフルエンザ対策を最重要政策の1つとして採択し、これに基づいて、WHOはインフルエンザ大流行対策計画の指針、計画モデル、計画のチェックリストの策定を進めている。我が国でも、2004年に新型インフルエンザ対策の方針が出されたが、それに基づく具体的な行動計画は現在策定中である。政策の決定には、予算措置等の大きな問題もあり、新型インフルエンザ問題の重要性に対する国全体の認識が不可欠である。医療サービスの確保やワクチン・抗ウイルス剤の備蓄・緊急増産体制はともかく、食料、エネルギー、通信・情報、治安、国防までを含めた社会全体の危機管理における問題点の広がりと大きさを考えると、新型インフルエンザ計画は、WHOを含めて各国の健康政策担当部署の手に余る問題であることは自明であり、国レベル・地球レベルでの幅広い討議と意志決定が必須である。


Copyright ©2004 Infectious Disease Surveillance Center All Rights Reserved.