ベトナムでのSARSの状況

(Vol.24 p 251-253)

ベトナムでも多くの医療スタッフがSARSに感染したが、 同国の流行は世界で最も早く制圧された1)。医療のリソースに恵まれているとはいえない同国のSARS制圧への戦いから学ぶべきことは多い。本特集では押谷氏がWHO/WPROからの報告を担当されるが(本号10ページ参照)、 筆者は日本の援助隊チームの目から見たベトナムのSARSの状況について報告する。

1.JICA緊急援助隊専門家チーム派遣

中国広東省、 香港ならびにベトナムハノイで原因不明の異型肺炎の流行が始まったことを受け、 WHOは2003年3月12日、 世界に向けて「異型肺炎の流行に関する警報(Global Alert)」を出した2)。WHOによると、 この時ベトナムには47人のSARS患者がおり、 実態不明な中国を除くと同国は世界最大の流行地であった。

ベトナム政府はこの警報を受け、 日本に緊急援助を要請した。日本政府は国際協力事業団(JICA)を通じ、 直ちに国際緊急援助隊専門家チームの派遣と緊急援助物資の供与を決定した。筆者と国立国際医療センターACCの照屋勝治医師、 JICAの山下 望氏の3人は、 同チーム第1陣として3月16日〜同25日までハノイに滞在し、 緊急援助物資(約1,300万円相当)の供与と現地調査を行った3)。

2.ベトナムでのSARS流行の始まり

ベトナムでのSARS流行はハノイ・フレンチ病院(以下F病院)から始まった4)。2月26日、 香港から来た1人の肺炎患者(index case)がF病院に入院した。それから約1週間を経た頃から同病院スタッフが続々と肺炎を発病した。後に判明することだが、 このindex caseは2月21日香港のホテルMに宿泊し、 そこでSARSに感染していた5)。われわれの調査開始時F病院にはすでに39名のSARS患者が入院していたが、 うち36名(92%)が医療スタッフであった。F病院はこのため3月11日一般診療を停止した。なお、 最初にF病院に調査に入ったWHOのCarlo Urbani医師がすでにSARSに感染し発病していた6)。

3.SARSに対する対策の開始 3, 7-8)

WHOのGlobal Alertが発せられた3月12日、 ベトナム政府は保健省内に対策委員会を設置するとともに、 F病院に隣接するバックマイ病院(以下BM病院)をSARS受け入れ施設に指定した。F病院のSARS患者のうち、 移動可能な26名と、 その後発症した患者はすべてBM病院に収容された。人工呼吸器装着患者は暫くF病院に残された。

BM病院は約1,400床の総合病院で、 ハノイ医科大学の最重要教育病院である。1994年から日本が援助を開始、 2000年には無償資金協力により新病棟が建築されている。SARS患者を受け入れることになった同病院はWHOの助言を受け、 当初から敷地内の別の建物(熱帯病研究所病棟)の2、 3階にSARS患者を隔離し、 厳重な感染対策を開始した。実施された主な感染対策を以下に示す。

(1)感染対策器材の採用:医療スタッフはSARSの診療にあたり、 標準予防策に加え、 N95 マスク、 フェイスシールド、 ディスポーザブルガウン、 キャップ、 ゴム手袋の装着を開始した。日本から供与した感染対策用器材が活用された。

(2)ゾーニング:BM病院敷地内を感染リスクにより3区域に分け、 人の動線を分離した。また、 SARS患者専用病棟内も重症度により3段階に分けた。専用病棟への立入は厳しく制限された。

(3)換気:同病院にはWHOが推奨する陰圧室は無いため、 窓を開放するなどして病室の換気を行った。

(4)職員教育:もともとBM病院は日本の協力のもと感染管理の意識は高かった9)。援助隊チーム第2陣(小原 博医師ら)は感染対策ワークショップを開催した。

(5)その他の行政的取り組み:SARS接触者に対して保健要員を派遣し追跡調査を行った。国境周辺や空港などでの検疫体制を強化し、 新たな患者の流入を防いだ。

SARS受け入れ施設となったBM病院では、 医療スタッフへの感染は1例も発生しなかった。その後ベトナムではSARSは終息に向かい、 4月7日を最後に新患者は報告されなくなった。

WHOは4月28日、 「SARSを制圧した最初の国」としてベトナムを感染地域から除外した1)。同国の最終的な患者総数は63名、 死亡5名、 監視接触者227名であった。

4.SARS受け入れ強化策―ノース・タンロン病院など

ベトナムのSARS流行の極期、 同国はBM病院だけではSARS患者を収容しきれなくなるという危機感のもと、 他にSARS専門病院の準備を始めていた。われわれは専門病院として改築が進むノース・タンロン病院とザーラム病院を視察することができた。両病院ともハノイの郊外にある素朴な小規模病院であるが、 いずれも1つの建物を丸ごとSARS専用として使う準備が進められていた。設備は不十分なものであったが、 当時のベトナムの危機感と"SARS患者は病院ごと隔離する"というポリシーが感じられた。

5.考 察

BM病院の成功、 あるいはベトナムの成功の原因について考察することは、 今後の感染対策を考える上で重要である。以下に成功の要因と思われる点を挙げる。

(1)新しい感染症という認識:当初、 F病院には新感染症という認識が無かったのに対し、 BM病院には認識があった。認識が無ければ日本もF病院と同様の結果になりうる。

(2)建物ごとの隔離:BM病院は当初より別棟の建物にSARS患者を隔離した。この方針は先述のノース・タンロン病院などでも一貫している。

(3)感染対策のスタッフ教育:BM病院には感染対策マニュアルや感染管理担当医がすでにあり、 もともと感染対策の意識が高かった9)。

(4)国際的な援助と調査の受け入れ:WHO、 日本など海外からの援助や調査を積極的に受け入れ、 感染対策用器材などの不足を補ったことも成功の要因と思われる。

そのほか、 いくつか幸運だったと思われる点もある。

(5)Index caseが香港に帰国したこと:F病院で多くの感染者を出したindex case(=super spreader?)は、 入院後間もなく香港に帰国した(香港で死亡)。Super spreaderの不在はその後の被害が少なかった原因ではないか?

(6)F病院から重症者を動かさなかったこと:人工呼吸器装着患者はBM病院に移送せず、 F病院に留めた。重症者の感染力が強いと仮定すると、 患者を移動しなかったのは正しい判断だった?

(7)重症度別にゾーニングを行なったこと:重症者の感染力が強いと仮定すると、 この判断も感染管理上正しかった?

6.おわりに

ベトナムはSARSを制圧した最初の国として賞賛されたが、 その感染対策は決して完璧ではなく、 幸運に助けられた部分も大きい。しかし同国には感染の拡大を封じ込めようとする明確な意図と危機感があった。幸運だった部分も含め、 成功の原因を十分に検証し、 今後の日本のSARS対策に生かす必要がある。

文 献
1) WHO, http://www.who.int/mediacentre/releases/2003/pr_sars/en/
2) WHO, http://www.who.int/mediacentre/releases/2003/pr22/en/
3)川名明彦、 他:感染症誌 77: 303-309, 2003
4) Vu TH, et al., N. Engl. J. Med. 348: 2035, 2003
5) CDC, MMWR 52: 241-248, 2003
6) Reilley B, et al., N. Engl. J. Med. 348: 1951, 2003
7)金川修造、 インフェクションコントロール 12: 958-962, 2003
8)實吉佐知子、 ナーシング・トゥデイ 18: 40-41, 2003
9)小原 博、 セラピューティック・リサーチ 24: 1101-1104, 2003

国立国際医療センター・呼吸器科 川名明彦

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