WHOの報告によれば、髄膜炎菌性髄膜炎は世界中で年間50万人が感染し、致死率は10%前後とされ、警戒すべき疾患とされている。しかし、国内の年間報告患者数は1945年には4,000人を超えていたが以後激減し、1969年には100人を下回り、1988年以降は10人前後で推移している。
感染症法施行以来の髄膜炎菌性髄膜炎の届出患者数を図1に示した。全国届出患者数は、1995年に3人となったが、その後2003年には17人、2004年は22人と、その増加理由は不明であるが明らかな増加傾向を示している。一方、県内届出患者数は、感染症法施行以後2004年までに15人であり、特に2003年1月〜2004年6月までの18カ月間に8人が発症し、全国的にみても高い発生率を示している。
そこで、この8事例について菌株の収集を行い(川崎市分については同市の協力を得た)その詳細を表1に示した。
菌が分離された検体は、血液と髄液が半々であり、そのうち2例は咽頭や鼻腔からも同時に髄膜炎菌が検出された。一般に、髄膜炎菌性髄膜炎の流行期は冬〜春とされているが、発生時期は1月〜8月の期間であった。年齢層は、通常幼児および青年層に多いといわれるが、生後1カ月が2人、20代1人、30代3人、40代1人で、最高齢は66歳が1人であった。性別は男性4人、女性4人で性差は見られなかった。推定感染地は、患者5は不明であったが、その他の7人は国内であった。患者6は、出生1カ月後39℃以上の発熱と炎症反応亢進で入院加療となった。この両親の咽頭培養からは髄膜炎菌は検出されなかったが、シプロフロキサシンの予防投与を行った。
菌体表層の莢膜多糖体を抗原とした血清群別の結果は、A群1人、B群4人、Y群3人であった。なお、2002年までの約30年間に当所で行った87株の患者分離髄膜炎菌の血清群別結果は、B群が54株(62%)、Y群が27株(31%)、群別不能が6株(7%)であった。このように群別結果がB群、Y群で90%以上を占めている中で、A群は初めての検出であった。
感染研において県内分離株のMLST(Multilocus sequence typing)を用いた分子疫学的解析(本号4ページ参照)を行ったところ、国内で最も高率に分離されるST-23が4人から検出された(表1)。感染地が不明であった患者5から分離されたST-33は、国内ではイギリスから帰国した父子からの分離例(1999年)に次ぐ2例目であった。ST-33は、ST-32 complexに分類され、疫学的には1970年代ヨーロッパで大規模な流行を引き起こし、現在も小規模な流行を繰り返している起因菌として同定されており、この患者も2002年にフランス、アメリカへの渡航歴があるため、その際に感染した可能性も考えられた。患者7は、血清群、MLSTに大きな特徴はなかったが、いわゆる劇症型で、入院翌日に亡くなった。家族の咽頭調査は陰性であったが、職業柄外国人との接触の機会が多かったとのことであった。今回当所で初めてA群が検出された患者8は女性で、その夫が中国旅行より帰国後1カ月以内に発症したため、夫からの感染を疑い、咽頭培養を行ったが結果は陰性であった。なお、A群については、非常にまれな事例として昨年、鳥取県内の病院から報告されている(IASR 24: 264, 2003参照)。この患者は中国から帰国後発症しており、血清群が国内ではまれなA群であることや、MLSTも国内では検出されたことのないST-7であることから、中国で感染した輸入例と考えられた。今回の患者8の株は、鳥取県の株と同様に血清群はA群でMLSTの結果がST-7であったことから、夫の咽頭培養が陰性ではあるものの、夫が中国から保菌してきた輸入例である可能性が強いものと推定された。
今回県内で届出のあった8人は、血清群、MLST、患者情報から散発事例と考えられたが、前述したとおり、髄膜炎菌性髄膜炎の届出患者数が増加していることから、今後とも発生動向の監視が必要と考えられた。さらに、今回のように海外からの輸入例の可能性が推定される中で、感染経路の究明のためには、MLSTも含めた解析が非常に重要であると考えられた。
以上のことから、髄膜炎菌の実態を把握し的確な予防対策を行うためには、発生動向の監視に加え、髄膜炎菌の菌株や患者情報の収集と解析を行う必要があるが、そのためには2004(平成16)年9月15日の感染症法の省令改正に基づく積極的疫学調査の実施規定の整備がその後押しになると考えている。
神奈川県衛生研究所・微生物部 渡辺祐子
国立感染症研究所・細菌第一部 高橋英之