1.はじめに
2006(平成18)年11月、フィリピンで狂犬病ウイルスに感染し帰国した男性が、国内で発症後死亡するという事例が2例続けて発生した。患者はいずれも60代の男性で、同年8月、フィリピン滞在中に狂犬病の犬に手を咬まれ、曝露後のワクチン接種を受けず、日本帰国後に発症したものである(本号3ページ&4ページ参照)。
国内での狂犬病患者の発症事例としては36年ぶりの出来事であり、立て続けに発生したことに加え、発症すれば100%死亡するという事実や、現地の狂犬病患者の悲惨な映像が、この病気の恐ろしさを忘れていた多くの国民に衝撃を与えた。
わが国においては、1950(昭和25)年に議員立法で公布された狂犬病予防法に基づく犬の登録や予防注射、あるいは野犬の抑留等により、公布後わずか7年間で国内の犬等からこの病気を駆逐し、以後、国内での感染例が報告されておらず、世界的にも数少ない狂犬病清浄国となっている。
本稿においては、わが国における狂犬病の国内対策について解説する。
2.発生動向調査
狂犬病は代表的な動物由来感染症の一つであるが、このような動物由来感染症のサーベイランスは、患者の発生動向のみならず、人の感染源となり得る動物の発生動向を把握することが重要となる。わが国においては、人の発生動向については、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(以下「感染症法」という。)に基づき、また、犬などの動物における発生動向については「狂犬病予防法」などに基づき、医師または獣医師に届出を義務付けることにより実施されている。
1)患者のサーベイランス
感染症法では、狂犬病は4類感染症に指定されており、患者を診断した医師は直ちに最寄りの保健所長を経由して都道府県知事に届け出るよう義務付けられている。届出基準(表)は「症状や所見から狂犬病が疑われ、かつ、表の右欄にある検査材料を用い、左欄に掲げる検査方法により狂犬病患者と診断されたもの」とされている。
2)感染動物のサーベイランス
人への感染源となる感染動物のサーベイランスについては、狂犬病予防法に基づき、犬等(犬の他、猫、あらいぐま、きつねおよびスカンク)について、感染動物を診断し、もしくは疑いのある動物を認めた獣医師に対し、直ちに、その犬等の所在地を管轄する保健所長を経由して都道府県知事に報告する義務が課せられている。また、同様に、家畜動物についても家畜伝染病予防法で届出が義務付けられている。なお、わが国での狂犬病感染動物の発生は、1957(昭和32)年に猫で報告されたのが最後である。
3.感染源対策
1)国内対策(犬の登録、予防注射等)
狂犬病は、犬のみならず、すべての哺乳動物が感染するが、狂犬病を媒介する動物種は地域によってそれぞれ特徴があると考えられている。例えば、欧州ではきつねなどの野生動物が、また、アメリカ地域ではコウモリが主に狂犬病を媒介しているが、患者数が圧倒的に多いアジア地域(世界の患者数の約56%を占める)では犬が感染動物として最重要とされている。世界保健機関(WHO)によると、人への感染源となる動物の99%は犬であるといわれている。
また、人の患者数と犬の症例数は相関するとも言われており、犬の管理を徹底することにより、人における狂犬病発生をコントロールできることは、これまでのわが国の狂犬病対策の歴史を見ても明らかである。
わが国においては、万が一の発生時に備えて、犬の飼い主に対し、犬の登録を義務付けるとともに、国内でのまん延を防ぐため、毎年1回の犬の狂犬病予防注射を義務付けている。
また、万が一国内に狂犬病が侵入した場合、このウイルスの温床となりうる野犬をできる限り少なくするため、狂犬病予防員による未登録犬、未注射犬の捕獲、抑留を実施している。
なお、2005(平成17)年度の登録頭数は6,531,381頭、予防注射数は4,834,741頭、抑留頭数は88,827頭となっている。
2)輸入動物対策(輸入禁止、輸入検疫、輸入届出)
年間 100万頭を超えるペット用の哺乳動物が輸入されるわが国の状況、および世界における狂犬病の発生状況等、わが国への侵入リスクに鑑み、1999(平成11)年4月から、犬に加えて、猫、あらいぐま、きつねおよびスカンクを狂犬病予防法に基づく検疫対象とし、また、2003(平成15)年11月からは感染症法に基づき、コウモリを輸入禁止動物に指定した。
さらに、2005(平成17)年9月から、感染症法に基づく動物の輸入届出制度が施行され、すべての哺乳動物は、狂犬病に罹患していない旨の輸出国政府の衛生証明書がなければ輸入できないこととなった(IASR 26: 196-198, 2005)。なお、2006(平成18)年のペット等の哺乳動物の輸入届出数は475,224頭となっている。
4.発生時対策
昨年、わが国は狂犬病患者の輸入発症事例を36年ぶりに経験したが、国内での感染事例は前述したごとく1957(昭和32)年の感染猫以降、経験していない。狂犬病に携わることとなる行政関係者や医師・獣医師が、輸入事例に対する対処はもちろんのこと、万が一の狂犬病の国内発生時に的確かつ迅速に対応することができるよう、厚生労働省では2001(平成13)年に「狂犬病対応ガイドライン2001」を作成し、自治体や関係機関等に配布したほか、厚生労働省のホームページにも掲載しており、全文閲覧が可能である(http://www.forth.go.jp/mhlw/animal/page_b/b04-10.html)。
各自治体におかれては、これらガイドライン等を参考に、より詳細な対応マニュアル等を各自作成しておくほか、発生時を想定した机上・実地訓練等を行うなどにより、日頃から危機管理体制を確立しておくことが重要である。
5.予防啓発
わが国では、長年、狂犬病の発生がなかったことから、この病気の存在が忘れられつつあり、狂犬病流行国で犬や猫、野生動物にむやみに手を出す日本人旅行者も少なくなかったといわれている。
厚生労働省においては、昨年の輸入発症事例を踏まえ、改めて海外渡航者向けの注意喚起のポスターを作成し、空港等で掲示したほか、狂犬病の流行地域で犬に咬まれて帰国した者でワクチンを接種していない人に曝露後ワクチンの接種を呼びかけるなど、海外で狂犬病に感染しないよう、また国内で発症しないよう予防啓発に努めているところである。
さらに、万が一、狂犬病ウイルスが国内に侵入しても、感染拡大しないよう、狂犬病予防法に基づく犬の予防注射の徹底など、今後とも引き続き、狂犬病予防対策の推進に努めることとしている。
厚生労働省健康局結核感染症課