百日咳流行株の分子疫学、2007年
(Vol. 29 p. 67-68: 2008年3月号)

はじめに
2007年、日本各地で百日咳集団感染が発生し、大学では感染者が200名を超える大規模な集団感染事例にまで発展した。わが国では青年・成人層を中心とする集団感染は初めての経験であり、疫学的な事例解析が今後の百日咳対策に重要である。しかし、百日咳は典型的な咳症状の出現とともにその菌分離率は低下し、特に成人患者からの菌分離は難しいとされている。そのため、分離菌を必要とする疫学解析(パルスフィールド・ゲル電気泳動など)はほとんど適用できない状況にある。2007年の百日咳集団感染では1事例で分離菌が得られたが、その他の事例ではすべて菌分離が陰性となっている。そのため、流行株の分子疫学をはじめ、その細菌学的な知見は得られておらず、特に大学での集団感染事例に関しては皆無であった。そこで、我々は科学的根拠に基づく疫学調査を実施するため、菌分離に依存しない菌タイピング法を確立し、2007年の流行株について解析を試みた。

臨床検体からの菌タイピング法
百日咳菌の病原遺伝子には多様性が認められ、それらの組み合わせから菌タイピングが可能である。この方法はmultilocus sequence typing (MLST)と呼ばれ、複数の遺伝子配列情報の差異(alleles)に基づくタイピング法である。百日咳菌のMLSTはptxS1 (百日咳毒素S1遺伝子)、ptxS3 (百日咳毒素S3遺伝子)、tcfA (tracheal colonization factor遺伝子)の差異を利用した報告例1), 2)があるが、国内分離株ではptxS1 prn (パータクチン)、fim3 (線毛3)が利用できる3)。この場合、わが国の臨床分離株はMLST-1〜MLST-5の5種類に分類され、MLST-1はワクチン株と同じallelic variationを示す(図1)。通常、MLST解析は分離菌のタイピングに使用され、臨床検体からの直接タイピングは行われていない。そこで、患者スワブDNA を鋳型にして、上記遺伝子(ptxS1 prn fim3 )をnested-PCRにより増幅し、MLST解析を試みた。遺伝子検査(LAMP法)の陽性検体を用いた場合、小児検体の64%、成人検体の12%でMLSTが決定され、本法が臨床検体にも応用可能であることが示された。なお、成人検体の解析率が低い原因として、成人では小児に比較して保菌量が少ないことが挙げられる。

2007年の百日咳流行株
2007年に発生した百日咳集団感染について、患者スワブDNAを用いて流行株のMLST解析を実施した。解析事例は青森県消防署(本号7ページ)、岡山県中高一貫校、高知大学(本号6ページ)、愛媛県宇和島市(本号9ページ)の流行であり、事例の概要については特集関連情報を参照して頂きたい。なお、青森県消防署の感染事例では2株の分離株が得られたため、分離株を直接タイピングすることによりMLSTを決定した。図2に示すように、2007年の集団感染では異なるMLST(MLST-1、MLST-2、MLST-3)が確認され、各事例で遺伝的に異なる流行株が蔓延したことが判明した。興味あることに、愛媛県宇和島市では2007年9〜10月と11月に異なるMLSTが認められ、同地域に2種類の流行株が蔓延したことが示された。このことから、2007年の百日咳流行は特定の地域を発端とした全国流行ではなく、市中に潜在する百日咳菌が各々の地域で流行したものと考えられた。また、複数のMLSTが確認されたことから、2007年の百日咳流行に菌側の要因、例えば病原性や抗原性の変化が関与した可能性は低いといえる。

おわりに
今回、2007年の百日咳集団感染が複数の流行株によって引き起こされたことが判明した。このことは集団感染と菌タイプに相関が無いことを示唆するが、その発生原因は依然不明のままである。百日咳集団感染の多くは、学校・職場といった狭い空間を長時間共有する施設等で発生しており、百日咳菌がこのような環境に侵入すると感染が容易に拡大するものと考えられる。今後、青年・成人層における集団感染の発生メカニズムを解析し、集団感染の早期探知や感染拡大の防止について方策を講じる必要がある。

協力機関:板柳中央病院、愛媛県立衛生環境研究所、岡山市保健所、高知大学医学部附属病院、国立感染症研究所・感染症情報センター

 文 献
1) van Loo IH, et al ., J Clin Microbiol 40: 1994-2001, 2002
2) Packard ER, et al ., J Med Microbiol 53: 355-365, 2004
3) Han H-J, et al ., Vaccine 26: 1530-1534, 2008

国立感染症研究所細菌第二部 蒲地一成 豊泉裕美 韓 賢子

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