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昭和40年以来,富山県下に発生した主な溶連菌感染症の集団発生は別表の通りである。最後の事例を除き,県が情報を入手し得たのは流行が起こってかなり時日が経過してからであったが,特に腎炎,リウマチ熱の場合には,疫学調査により,その集団に上気道疾患が先行していたことが判明している。これらの中から,疫学的または細菌学的に興味ある点を紹介する。
福岡町F小学校の腎炎流行:原因菌型はA群M12型で,この年代では未だ12型のEM耐性化は進行しておらず,感受性菌であった。この12型菌は他のしょう紅熱や咽頭炎の散発症例からの12型菌に比べて,マウスに対する菌力が格段に強く,マウスに静注した後の菌数の消長を見ると,一旦減少した菌数が再び増加するまで極めて短時間であった。また,M蛋白の形成は極めて安定しており,Todd培地に,15代継代すると他のM12型菌の多くはM蛋白を失ってしまったが,この菌のM蛋白は依然として認められた。筆者は現在M12型抗血清作成のための免疫原としてこの菌株を使用している。
大沢野町のG群によるしょう紅熱:G群によるしょう紅熱は全国的にも珍しいが,この事例では施設内に牛,豚,鶏が飼育されており,豚が感染源として重要な役割を果していることが判明した。当該集団の溶連菌保菌率は著しく高く,G群の他C群保菌者も多数見出され,豚からもG群と共にC群が検出された。これらのGおよびC群菌は,生物性状からは,Str.equisilisの性状に一致していた。抗原的には,G及びC群に共通して,物理化学的性状がA群のM蛋白と類似した抗原(血清学的にはA群の主要菌型のM蛋白とはまったく交叉しない)が見出され,それが病原性の上で重要な役割を演じているのではないかと考えられる。その後,昭和53年9月に,新潟県でも同じく精薄児童の施設でG群によるしょう紅熱が発生し,その菌株の分与を受けて抗原性を調べたところ,やはりM蛋白様の抗原が見出され,それは富山のG群菌と血清学的に全く同一であった。富山,新潟の両施設共にA群はほとんど分離されておらず,精薄児童とG群菌の間には何か特殊な関連があるように思われるが,この点は未だ追及していない。
興味ある研究課題である。
大山町のしょう紅熱2事例:昨年6〜7月と10〜11月に同じ町の隣接地区で2つの流行が相次いで発生し,原因菌型はいずれもA群M12型であった。ただし,夏のO保育所を中心とした流行はEM耐性菌であって,この集団からはM12型でEM感受性の株は1株見出されたのみであった。逆に,秋のK保育所を中心とした流行はEM感受性菌によるもので,この集団からはM12型でEM耐性菌は1株認められたにすぎない。わずか人口1万余の小さな町の隣接した地区で,同じ菌型だが,この様にEM感受性のまったく異なる菌による流行が相次ぐというのは,健康学童の溶連菌保菌のパターンが極めて局地的な特徴を示すという筆者らの過去10年間にわたるデーターと合わせて考えると,なかなか興味深い。
溶連菌感染症のコントロールは容易でないが,流行の拡大を阻止するには,何よりも早期に探知して保菌者検索を行い,保菌者対策を講ずることが大切であろう。
富山県衛生研究所 児玉博英
富山県における溶連菌感染症集団発生事例
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