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アデノウイルス4型(Ad−4)は,新兵熱の病原の1つとしてよく知られているが,一般市民間での流行は非常にまれであった。しかし1977年になって米国でのプールを介した咽頭結膜熱としての流行,英国では全寮制学校での結膜炎を伴った急性呼吸器疾患の流行が報告され,さらに,1978年にも両国において流行が報じられており,近年Ad−4による流行が注目されてきている。
1979年6月18日から25日にかけて,横浜市内の1小学校(34学級,1356人)において,1学級40人中18人が急性熱性疾患により3〜7日間欠席した。5人の患児について検査した結果,4人のうがい液からAd−4が検出され,5人全員に抗体上昇が認められた(表1)。さらに同年11月には,幼稚園1学級34人中14人が欠席し,この患者4人中2人からAd−4が分離された。また,市内の5医院を定点として,毎週約20人の急性呼吸器疾患患者の咽頭拭い液からウイルス分離を続けているが,この調査からも,6,7月各2人,8月4人,10,11月各1人の計10人からAd−4が検出された。この調査で6,7月にとらえた患者の通学校(小,中学校各1)の欠席状況を調査したところ,両校とも患者の在籍した学級に欠席者が多く,小学校では39人中8人,中学校では40人中6人が,その患者と同時期に3〜6日間,発熱やかぜのため欠席していた。このように1979年にはAd−4による2つの流行と10人の散発患者が見出され,これらの患者の周辺には小流行が存在していたことが推定された。
Ad−4はこれまで日本での流行例はなく,分離報告も極めて少なく,住民の免疫度は低いと考えられる。抗体調査を赤血球凝集抑制反応により行った結果を表2,3に示した。1978年までは抗体保有者はみられなかったが,79年には少数ではあるが抗体が検出され,同年6月の流行以前にすでにAd−4が存在していたと考えられた。また,年令別では20才台では抗体保有者は見られず,40才,50才台で15%程度の保有率を示した。1959年の東京における調査成績では,10才以上に10〜15%の保有率が示されており,今回の調査と比べてみると,1950年頃から最近まで約30年間は,Ad−4の感染は少なかったと考えることができる。
病原微生物検出情報によれば,1979年,80年には日本各地でAd−4が検出されており,横浜市でも流行としては観察されなかったが,1980年にも3株検出され,このウイルスが着実に滲透している様子が認められた。最近,英米両国で流行が示され,しかも結膜炎としての流行,また,プールを介した流行が認められており,このウイルスの今後の動向が注目される。
横浜市衛生研究所 遠藤貞郎
表−1.患者ウイルス分離と抗体上昇
表−2.採血時期と抗体保有率
表−3.抗体保有者年齢分布
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