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昭和55年10月下旬,県下八頭郡智頭町において風疹流行の情報があり,同町町立病院に依頼して保育園児13名,小学生4名計17名の患者から咽頭ぬぐい液,対血清を採取し,検査した。15名の患者から風疹ウイルスが分離され,血清学的に17名の患者に抗体価の有意上昇が認められ,流行が確認された。そこで保育園児,小学生,中学生,計1618名を対象に風疹の罹患状況についてアンケート調査を行った。アンケートの回収率は96%である。
智頭町は人口約12,000人で県東南部に位置し(図1),岡山県に接し,人の流通の少ない静かな林業の町である。町は6地区の山間集落よりなり,智頭地区(4,790人)を中心に,土師地区(1,490人),那岐地区(1,770人),山形地区(1,820人),山郷地区(1,000人),富沢地区(1,120人)である。中学校は全区で1校で智頭地区にあり,小学校は各地区に1校,保育園は智頭地区に諏訪保育所(200人,5・6才児収容)とあたご保育所(64人,4才以下収容)の2施設があり,これらに智頭,土師,富沢地区の幼児が通っている。那岐地区に那岐保育所(56人),山形地区に山形保育所(36人)と芦津保育所(12人)がある(図2)。
近年の鳥取県における風疹の流行は県医師会の調査によると,昭和52年5,300名の患者発生があったが,主として県西部の流行で県東部の流行は小規模であったといわれ,当初で行った風疹の抗体保有調査では,53年に比較して55年は保有率が25%低率になり,3才以下対象の15名には抗体保育児はなかった。55年6月と8月のサーベイランス検体で県西部在住の小児から風疹ウイルスが分離された。
今回のアンケート調査によると,55年7月頃から患者発生があり,56年2月末現在で保育園児,小学生,中学生の患者総数は388名(罹患率24%)に達し,なお一部で患者発生が続いている。7月の発生は智頭小学校(440人)と諏訪保育所で各1名あり,それぞれ智頭地区,富沢地区在住の生徒,園児であった。これらの施設で9月頃までは13〜16日間隔で1名づつといった発生状況であったが,10,11月に入り諏訪保育所でクラスによっては75%の罹患率を示す大流行となった。11,12月になると,同地区のあたご保育所に流行が広がり,1月までにそれぞれ45.5%,62.5%の罹患率を記録して終息した。この両保育所通園児と同区にある智頭,富沢,土師の3小学校においては10月頃から流行が始まり,富沢(60人),土師(98人),小学校は2月上旬にそれぞれ28.3%,28.6%の罹患率を示して終息した。児童数の多い智頭小学校は1月の流行をピークに2月末現在も患者発生が続いている。小学校では3年生から1年生へと流行するケースが主であった。流行のあった保育所,小学校と校区的に関係の浅い山郷,山形,那岐地区へのウイルス侵入は流行地区に存在する中学校もしくは冬休み中の園児,児童の出入によるものと推察され,山郷地区で冬休み明けに中学生と小学生の兄弟3人が同時に発症し,同区小学校ではその後8〜20日で3名の患者が発生した。山形地区で中学生2名が発症したが,これらには園児,小学生の同胞はなく,同地区の小学校,保育所では2月末現在患者の発生はない。しかし,那岐地区では2月に小学校で1名,保育所で13名(罹患率23.3%)の患者発生があった。中学校における発生状況は,11月智頭小学校出身の1年生から始まり,クラス単位の流行が著明で,某クラスでは41名中15名が罹患した。2月末現在は2,3年の男子生徒(女子生徒はワクチン接種済み)に広がってきた。地区適流行像をみると,智頭,土師,富沢地区では最初の保育園児,後の小学生と2つの流行ピークをもつ2峰性の流行像を示している。那岐地区は2月から流行の兆がみられ,山形,山郷地区では流行に至ってないないのが現状のようである。
流行地区における成人の感染状況については特に調査していないが,流行施設勤務の職員,患者家族,医療機関の医師,看護婦に罹患の多いことから,一般成人感染者の存在は疑いないものと思われ,この地区における妊婦の感染が懸念される。
鳥取県衛生研究所 井上睦子
図1.
図2.智頭町校区別
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