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幸いにして日本では1929年にペスト患者3名,1930年にペストネズミ24を出して以来,長期間ペスト菌が検出されず,ペスト菌の特異抗原FractionTで感作したヒツジ赤血球を用いた受身赤血球凝集反応で抗ペスト免疫グロブリンを有することを否定できなかったネズミが1971年,1973年,1975年に各1例,2例,1例,神戸港において捕獲されたのみである。このため日本では世界的にペストの発生があることを聞いて驚愕する人さえ少なくない。しかしWHOのWeekly Epidemiological Recordに届け出られている数だけを調査しても,1980年にはケニヤ,マダガスカル,スーダン,タンザニヤ,ボリビヤ,ブラジル,北米,ビルマ,ベトナムの諸国に発生が見られ,発生地域は広がりつつあると言ってよい。1981年に入ってからまだ5月半ばであるが,北米合衆国で2例,マダガスカルで9例,ボリビヤで2例,ブラジルで30例,ケニヤで328例,モザンビークで351例,南アフリカで116例,タンザニヤで435例,ベトナム(南部,中央タイニュエン平原)で37例,マレーシアで23例の他ビルマでの発生も報告されている。死者は総計60名となっているが,WHOに報告される以外に知られざる発生例,死者数も数多いであろう。
報告が出るほどに情報網がととのった地域では抗生物質による早期治療によって死亡にいたらない症例がより多いであろう。ニュース源は秘匿せざるを得ないが,日本の隣大国には肺ペストをふくむ患者が発生しつつあり,高級幹部以外は同国人ともこのことを知らないという。ベトナムでは解放以後,交通の便が増加し,患者数は増加したと,これも個人的な伝聞である。現状では第4次世界的大流行と言うほどのことはないが,その危険性を無視することはいましめなければならない。
高度に発達した文明国である北米合衆国においてペスト患者の発生例が絶えることなく,西部より漸次ミシシッピー河西岸の線まで到達して来たという。CDC発行のMMWRによれば1979年の発生例総数は10例,1980年は18例と,1960年以来の発生例数曲線は凹凸あるものの次第に増加傾向にある。1981年も3月にテキサス州で罹患したヤマネコを捕獲した男が入院後6時間で死亡している。ペスト菌は患者血液はもちろん,そのヤマネコの脳からも分離されたという。少しさかのぼって,1976年には,リビアの僻地の小村で,げっ歯類の巣穴の上に坐り込むラクダがペストに感染し,それを屠殺して食肉用に配分した村民15名が発熱し,5名が4日以内に死亡し,他にヤギ2頭を殺した6人が発病し,抗生物質の治療を受けた5名が死を免れた。(J Infect. Dis. 141,724−726)ヤギの1頭の血清中には抗FractionT抗体が受身血球凝集反応で検出された。この抗体価測定法は十分に鋭敏であるが,十分に精製された抗原を使用し,血球凝集阻止反応をふくむ周到な対照稀釈系列をおかないと無用な社会的混乱をひきおこす情報源となりかねないので,前記神戸港における捕獲ネズミ4頭の陽性例に関しては筆者も慎重なコメントをつけた結果がこのようなことである。さらにラジオイムノアッセイ(RIA)あるいは酵素イムノアッセイ(ELISA)等,特異性の明瞭な近代的手法と,ペスト菌のウイルレンス因子であるF1,VW,P1,Pの検出に習熟した技術者の養成が望ましい。これら諸因子のプラスミド支配が続々と証明されつつあり,古典的な急性伝染病ペストはもっとも近代的な手法によるアプローチを待望している。
予研 和気 朗
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