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バングラデッシュ−1960年代から1970年代初頭にかけて,東南アジアからは古典的コレラ菌は次第に消失した。これはコレラ菌O1のエルトール型による第7次コレラパンデミーの進行に伴ったものである。カルカッタでは,1968〜1969年に古典型による最後の2,3の症例がみられたが,一方,ダッカでは,エルトール型が古典型に完全にとってかわった。1973年の8月に至るまで古典型は持続生残した。以後,臨床例からそして環境からも古典型は分離されなかったのであるが,1979年の10月になって,5例の古典型による症例が発見された。下痢疾患国際研究センターのバングラデッシュラボラトリー(ICDDR,B)においては,1979年にもう1例の古典型の分離があり,1980年には3例の分離があった。1981年にはダッカから130kmはなれたMymensing地区の公衆衛生研究所で古典型株が2株分離された。
ICDDRでは1980年5月から1982年9月までの3500の分離株はすべてエルトール株であったが,1982年9月4日から同年10月22日にかけては,古典型が551株,エルトール型は601株になった。これら古典型はファージ型3(ムカジー)であり,他の生物学的性状においても,1969〜1970年の分離株と区別のつかないものである。
(WHO,WER,58,No.19,146,1983)
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