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Vol.5 (1984/1[047])

<特集>
急性出血性結膜炎と神経合併症


 急性出血性結膜炎(AHC)は1969年にガーナで初発した新型結膜炎で,数年にわたる第一次世界的流行のあとは散発程度にとどまっていたが,1981年以降再び世界的に流行している。厚生省サ−ベイランス事業における1983年の週別発生報告数は秋以降に増加がみられた(図1)。日本では本疾病の発生は極めて局地的で,発生県についてみると,発生報告は突然鋭く上昇し,急激に下降する(図2)ので,図1の全国平均のピークはそれぞれ特定の地域的発生が反映したものである。1983年49週迄の報告数合計は5154(1982年は4563),最も大きい流行を経験したのは山梨県で,全発生数の31%にあたる1587例(年間定点あたり発生数529)を記録した。10月以降さらに福岡における流行が重なったため,過去最高の週別発生数となった。これ以外の小さいピークもそれぞれ地域的集団発生を反映している。患者の年齢は15歳以上が約70%を占める(表1)。病原であるエンテロウイルス70型(EV70)は他の病原にくらべ分離が困難であるため分離数は少なく,血清診断によって流行を確認している例が多い。

 EV70型感染の問題点は,結膜炎症状が激烈であること以外に,まれではあるがポリオ様運動麻痺を併発することである。台湾の流行において血清疫学的調査から算定した神経合併症発生率は感染者約2万例に1例なので,神経毒力は野性型ポリオウイルスよりずっと弱いことになる。

 AHCそのものは結膜下の激しい刺激症状と出血傾向が特徴であるが10日前後の経過で全治する良性の疾患である。神経合併症はタイ,インド,台湾等本疾患の多発地における研究によれば,結膜炎発症後2〜4週におこるのが3/4で,5日以内または8週以上で発症する者もある。2/3では感冒症状が1〜3日続いた後神経症状がおこっている。全経過を通じて本症の特徴は弛緩性運動麻痺で,脊髄型(脊髄前角細胞が侵される)では下肢の筋力低下が70%におこり,1/3〜1/4では永久麻痺に移行する。脳神経型では顔面神経麻痺が多く,その他に滑車,三叉,外旋,舌咽,迷走,舌下の各神経麻痺が報告されている。生命に関する予後は良好で確信された死亡例はない。

 日本におけるEV70神経合併症の報告例は少ないが,後述の不全型例にみられるように軽度の神経障害はかなり頻度が高いものと思われる。以下に国内で報告または確認された6例のうち最近の4例と不全例の症例報告を記載した。これ以外のすでに報告された2例として九大・黒岩らによる1976年九州の33歳女性(神経内科7:87,1977)の例と,北大・坂田らによる1978年北海道の61歳男性(眼科22:1349,1980)の例がある。

 症例1:45歳女性。AHC発症後12病日より腰痛・左下肢しびれ感自覚。14病日より歩行不能。発症16病日入院。入院時神経学的所見は,左上肢帯,左下肢帯などに非対称性の脱力,筋萎縮。四肢深部腱反射低下〜消失。四肢,左体幹・頸部・後頭部に表在知覚鈍麻。左下肢背面〜臀部の異常知覚,左Lasegue徴候+,左坐骨神経圧痛点+を認めた。髄液は41病日細胞数13/mm3,蛋白140mg/dl,その後は正常化。EV70の中和抗体価は血清では,16,8,4倍と経時的に下降し,髄液で4,2,4倍と陽性値を認めた。副腎皮質ホルモンにて症状は軽快したが表在知覚鈍麻は7ヶ月以上持続した。(日大・亀井ら,第83回日本神経学会関東地方会,臨床神経学,印刷中)

 症例2:36歳男性。1982年1月4日より結膜炎症状が13日間持続し,軽快した7日後に右下肢筋力低下が出現,進行し歩行困難となった。右側に優位の両下肢筋力低下と腱反射低下ないし消失があり,後に同部の筋萎縮が進行した。一過性の排尿困難があった。髄液では単核球を主とする中等度の細胞数増多,軽度の蛋白増加が認められた。筋力低下,筋萎縮は徐々に回復し,神経症状発現後約2ヶ月で独歩可能となったが,3ヶ月後においてもなお残存した。血清・髄液においてEV70の中和抗体価の有意な変動(神経症状発現後第2週に血清64倍,髄液32倍,同第8週に血清16倍,髄液4倍)が認められた。(島田市民病院・越智ら,第43回日本神経学会東海北陸地方会)

 症例3:53歳男性。1982年12月23日左眼の白眼に出血を認め異物感を自覚。出血は数日で消退。1月15日頃より感冒症状が続き,2月5日左頭頂部をさわるとピリピリしたしびれ感,その後咽頭痛,2月12日嚥下運動不能,嗄声により入院。口蓋垂の右方偏移,左側軟口蓋運動麻痺,右側カ−テン徴候,左側声帯不全麻痺,髄液検査で細胞,蛋白の増加を認めた。予後は良好で20日後に正常となった。神経症状発現後13日と27日の血清及び13日の髄液はともに高い中和抗体価(80%プラック減少法で512倍,512倍,64倍)を示し,いずれもIgMにIgGよりも高い活性が認められた。(住友病院(大阪)・山村隆ら,臨床神経学24巻1号)

 症例4:70歳男性,医師。1983年8月上旬外来で結膜炎を診断する機会が多かった。8月15日,左耳介後部の圧痛,耳の中の掻痒感,左側眼瞼結膜の掻痒感,16日より左口角部のゆがみを自覚,流涙が多くなった。8月18日の初診で左結膜炎(流涙著明,充血は軽度),左末梢性顔面麻痺(中等度),以後結膜炎は1週間程度で治癒,顔面神経麻痺は1ヶ月でほぼ完全に回復。血清抗体価は第3及び第29病日でいずれも高い(プラック50%減少法でともに512倍)。(住友病院(大阪)・山村ら,未発表)

 不全例:1974〜1977年名古屋および桑名においてウイルス分離又は血清抗体測定によってEV70感染が確認されたAHC患者の中で頭痛,発熱,手足のしびれ,四肢痛,関節痛,筋力低下のみられる13名について,筋電図的に潜在性神経障害が認められた。これ以外にも起立不能に至ったものを含め数例が確認されている。年齢は大部分40歳以上で,結膜炎と神経症発症の間隔は11日〜約90日であった(名古屋大学・岡和田ら,Jpn. J. Ophthalmol. 23 : 58−64,1979;三重衛研吉川ら,第2回大同生命医学研究助成論文抄録集)



図1.急性出血性結膜炎発生報告数 1983年(感染症サーベイランス情報)
図2.地区別・週別AHC発生状況(山梨県サーベイランス情報−三木ら)
表1.疾病別年齢群別患者発生状況 1982年(感染症サーベイランス情報)





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