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生の二枚貝を食べて腸チフスのような腸管感染症に罹患することはかなり古く17世紀の頃から知られていた。1955年スウェーデンで起きたカキの生食によるA型肝炎の流行以来,二枚貝によるA型肝炎の集団発生例は米国の研究者により数多く報告されており,また,最近わが国においてもカキ等の二枚貝の生食とA型肝炎の発生との関係が注目されるようになった。一方,ウイルス性胃腸炎の病原体であるロタウイルス,Norwalkウイルス等がカキ等の貝類によって媒介され伝播する可能性については,これらのウイルス発見以来推測されていた。1976年12月英国でカラスガイによる食中毒様の集団発生(患者797人)があり,その病原体は25〜26nmの小型円形ウイルス(cockle因子)であることが明らかにされた。続いて,1978年6〜7月オーストラリアでカキによるNorwalkウイルス性胃腸炎の大流行があり,2000人を超える患者が発生した。その後,カキの生食によるNorwalkウイルスまたはNorwalk様ウイルス性胃腸炎の流行例は米国(1980年1月),英国(1983年1月)においても報告されている。このように二枚貝の生食によるウイルス性胃腸炎の流行が冬季に発生していることは注目される。
埼玉県においては生ガキが原因食品となった食中毒様の集団発生は1983年,1984年の1月に各1件あり,いずれも患者糞便から病原細菌は検出されなかったが,30nm前後のsmall round virus(SRV)が電顕下で認められ,患者回復期血清による免疫電顕法でそれぞれのウイルス粒子に対する抗体産生が証明されたことから,上記2件の集団発生はウイルスに起因するものと判断された。これら2件の疫学調査および電子顕微鏡検査の結果を表1に示した。蕨市の発生例は病院看護婦がレストランで会食し,その際食べた酢ガキにより感染した。浦和市の発生は精薄施設内の成人寮の昼食に出た生ガキの梅肉あえが原因食となり感染した例で,患者57人中43人は精薄の寮生であったため症状調査は実施できず,同一食品を食べ発症した職員13人に限られていた。
乳児嘔吐下痢症,冬季嘔吐症等のウイルス性胃腸炎が疑われた患者糞便からのロタウイルス,SRVの検出状況を図1に示した。この調査は,1981年10月1984年2月の29ヶ月において,浦和市の一小児科医院の外来患者のうち,上記疾患に診定された0歳から成人までの患者(主として小児)805人の電子顕微鏡検査結果である。ウイルス粒子陽性者は534人(66.3%),そのうちSRV291人(36.1%),ロタウイルス200人(24.8%),アデノウイルス43人(5.3%)であった。これらのうち,SRVとロタウイルスの月別検出状況を図1に示したが,胃腸炎起因ウイルスの双壁であるこれら2種のウイルスの地域社会における流行像の特色をこのグラフは十分に物語っている。両ウイルスとも主として冬季に流行するが,患者発生のピ−クはSRVの方がロタウイルスよりも1〜2ヶ月早く起こり,過去3回の冬においていずれも12月に集中的に多発するのが特徴的であった。なお,この時期に一致して保育所,幼稚園,小学校(主として3年以下)に冬季嘔吐症の集団発生が続発することを毎年経験している。
Caul & Appleton(1982)はNorwalkウイルス,Wollan因子をはじめとする10種をこすSRVを,ウイルス粒子の形態学的特徴に基づき,small round featureless virus(SRFV)とsmall round structured virus(SRSV)と大別する分類法を提案した。埼玉県内ではこれまで検出されたSRVは300株を超える数に達し,その9割はSRSVであり,集団発生の原因となったSRVはすべてSRSVであった。また,SRV感染患者の回復期血清を用い,これまでに分離されたSRV株を免疫電顕法で型別してみると,SRFVは2つの血清型,SRSVは7つの血清型に分けられ,さらに多くの血清型の存在も推測されている。このようにSRVの血清型は多種多様であることがSRV感染患者の年齢域をロタウイルスに比べ遥かに広くしている理由の一つとなっている。浦和市内のSRV感染患者の例でも,一人の小児が成長とともに異なるSRVに繰り返し感染していった例を多数観察している。
昭和57年の農林水産省の統計によると,わが国のカキの総収獲量41,401トンのうち,10〜12月の収獲量は13,844トン,1〜3月は15,775トンであり,晩秋から春先にかけて水揚げされるカキの量は総量の70%に達している。そして,この期間は先に述べたウイルス性胃腸炎の流行期に一致しており,それぞれのカキ養殖海域に接した地域社会に,浦和市内に見られたと同様のSRV性胃腸炎の流行が毎年発生し,その結果養殖海域の海水がこれらのウイルスによって汚染される機会は多々あるものと思われる。カキ等の二枚貝は汚染された海水からウイルスを体内に濃縮する機構のあることはエンテロウイルスについての実験,観察からすでに明らかにされている(Gerba & Goyal,1978)。さらに,貝の体内のウイルスは1〜2ヶ月の長期にわたり感染可能のレベルで生き残っていた事実も報告されており,一度ウイルスに汚染されたカキからウイルスを除去することは,オーストラリアのNorwalkウイルスで汚染されたカキの調査からも極めて困難な問題である。
SRV性胃腸炎は冬季嘔吐症によって代表されるように,ロタウイルス性胃腸炎に比べ臨床症状は軽く,3日以内で回復するのが一般である。そのため散発例に対する関心は薄く,集団発生のみが世人の注目を受けるきらいがある。しかし,浦和市内の発生例が示すように,ロタウイルスよりも遥かに多く急性胃腸炎患者から検出されていることから,このウイルス感染症に対し,より多くの人々の関心が寄せられることを期待している。
埼玉県衛生研究所 岡田 正次郎
表1.生ガキによるウイルス性胃腸炎の集団発生例
図1.ウイルス性胃腸炎疑い患者の糞便の電子顕微鏡検査成績
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