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富山県では1963年以来,日本脳炎流行予測事業の一環として,媒介蚊コガタアカイエカの発生数の調査を県下10定点で行っている。
それによると,1977年までコガタアカイエカの数はほぼ毎年減少してきたのが,1978年からは徐々に増え続け,1982〜83年には顕著な増加を示した(図1)。そこで,この増加現象を検討した結果,1977年以前は7月に最も多くの補集があったのに対し,1978年以降は8〜9月にそれが観察された。さらにデータを分析したところ,この最多補集月の移行はコガタアカイエカの発生源である水田の農薬散布(とくに殺虫剤)と密接な関係があることが判った。つまり,1977年以前は7月下旬〜8月上旬に農薬が集中的に散布された直後に急激な捕集数の減少が見られ,この低レベルはほぼコガタアカイエカが終息する11月まで続いた。一方,1978年以降は,農薬散布後の減少は観察されるものの,1977年以前ほどではなく,すぐに個体数が回復してしまう消長を示した(図2)。これはコガタアカイエカに対して,農薬が効かなくなったことを意味し,農薬の種類の変更,もしくは農薬に対する抵抗性の獲得が考えられた。前者を調べると多少の変更はあったが,コガタアカイエカに対しても有効な種類であった。そこで,後者について,感受性試験を行った結果が表1であり,強度の抵抗性が獲得されていることが判明した。結局このことが,1978年以降コガタアカイエカの増加を導いた大きな要因と考えられた。
なお,この抵抗性の機構を現在追求中で,現時点までに次のようなことが明らかになってきた。
1.抵抗性系“富士”は感受性系に比べ,アセチルチオコリンエステラーゼ活性は半分しかない。2.カルボキシエステラーゼ活性は逆に“富士”で1.5倍ある。3.“富士”のアセチルコリンエステラーゼはオクソ型有機リン剤でわずかに阻害される程度であるが,感受性系では顕著に阻害され,その比はマラオクソンで77倍,フェニトロオクソンで1200倍,DDVPで183倍であった。
今後はこの抵抗性獲得の機序についてさらに追求し,コガタアカイエカの発生数を抑制する方法を検討したい。
終りに,この調査・研究は富山医科薬科大学の上村 清助教授,竹部幸子助手,荒川良枝官,小橋恭一教授との協同研究であることを記し,感謝の意を表する。
富山県衛生研究所 渡辺 譲
図1.年度別コガタアカイエカ捕集数(1983年の補集数を100として示す。図中の数字は1983年度の補集数を示す)婦中友坂は1978年から調査を始めた。
図2.富山県におけるコガタアカイエカの発生消長のモデル図−1968年と1983年の比較−
表1.コガタアカイエカ幼虫に対する3種有機リン殺虫剤の50%致死濃度
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