|
1987年7月14日,生後62日目の女児が全身の筋力低下,哺乳力低下を主訴として来院した。吸啜・嚥下反射の消失,対光反射の減弱,瞳孔散大,腱反射の減弱,排尿排便障害など多彩な神経症状を呈し,急性脳症,薬物中毒,Werdnig-Hoffmann氏病も疑われた。入院24日後呼吸不全のため人工呼吸管理が必要となり,患児の便培養および毒素検出を施行したところ,A型ボツリヌス菌および毒素を検出し,乳児ボツリヌス症と診断した。感染源として現在明らかとなっているハチミツを患児は保健婦の指導により生後2週より毎日小さじ1杯ずつ投与されており,そのハチミツよりA型毒素が検出された。
患児は腸管麻痺のため経管より充分な量のミルク投与ができず,高カロリー輸液を必要としたが,徐々に筋力が回復し自発運動が活発となるに従い,胃チューブより充分なカロリー投与が可能となった。発症5カ月後頃には人工呼吸管理より離脱近くまで改善したが,ロタウイルスによる冬期下痢症とペニシリン系抗生物質の投与の後,再び自発運動の減少,対光反射の減弱,自発呼吸の抑制,発汗の低下などの症状の発現をみた。この時点まで便よりボツリヌス菌および毒素は持続して陽性であり,ウイルス性下痢症と抗生剤投与に伴なう腸内細菌叢の変化により残存するボツリヌス菌が再増殖し,溶菌にて多量の毒素が放出され,再増悪をきたしたと思われる。なお,再増悪時の血清よりA型毒素が検出された。発症後7カ月(1988年2月)現在,いまだにレスピレーター管理を必要としている。
乳児ボツリヌス症は1976年アメリカにて初めて確認されて以来,アメリカを中心に約650例の報告がされており,日本においても1986年千葉,88年京都で確認されている。本症はすでに産生されたボツリヌス菌毒素が存在する食品を摂取し発症する従来のボツリヌス中毒とは異なり,生後3週〜8カ月の乳児にのみ見られ,芽胞として存在するボツリヌス菌を摂取し,下部腸管で発芽増殖,産生された毒素により発症する。ボツリヌス毒素は自然界に存在する最も強烈なneuro-toxinとされ,神経筋接合部に作用しアセチルコリンの放出を阻害することにより,弛緩性麻痺を中心に多彩な神経症状を呈する。
本症の発症の原因食品として唯一証明されているのはハチミツであり,国内例は2例ともハチミツが投与されている。厚生省の研究班の報告ではハチミツよりボツリヌス菌の検出されたものは,5.3%にすぎないが,アメリカの報告では10〜15%とされ,実際の汚染率はもっと高いと考えねばならないだろう。また,アメリカではハチミツが原因と確定できる症例は約1/3にすぎず,コーンシロップ,水飴,砂糖などの完全に殺菌の施されていない天然甘味料も感染源となり得ると考えられる。
CDC,FDA等アメリカの公的機関は以前より1歳以下の乳児にはハチミツを投与しないよう勧告し,日本においても1988年10月8日付で厚生省より「乳児ボツリヌス症の予防対策について」通知された。我々の症例は厚生省の通知前ではあるが,残念なことに保健関係者が逆にハチミツの投与を勧めたために発症している。今後とも保健医療関係者のみならず,一般に広く乳児ボツリヌス症とハチミツについての知識をさらに徹底させる必要があると思われる。
本症では臨床症状がほぼ完全に改善した後も数カ月にわかって排菌がある例も報告されており,我々の症例のように抗生剤使用や急性腸炎などにより再増悪をきたす可能性があり,注意深い経過観察が必要と思われる。
国立金沢病院小児科 笠原善仁 西川 健 舟橋 隆 奥田 則彦
石川県衛生公害研究所 芹川俊彦 木村晋亮
|