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Q熱はリケッチアの一種Coxiella burnetiiの感染によって起こる人畜共通感染症で,欧米に広く分布している。宿主動物は家畜,愛玩動物,野生動物,鳥類など極めて広い。感染動物は軽い発熱や流産など以外にほとんど臨床症状を示さないが,乳汁,流産胎仔,胎盤,羊水,糞,尿などから長期間にわたって大量の病原体を排泄する。ヒトは病原体を含む粉塵を動物と関連する環境から吸入することによって感染することが最も多く,インフルエンザ類似の呼吸器疾患や心内膜炎などになる。
わが国では1950年代に数年間だけWHOの依頼により本症の疫学的研究が行われたが,その後放置されたままとなって今日に及んでいる。これは,動物のコクシエラ症は症状の軽いものが多く,経済的被害の多い他の微生物による伝染病の陰に隠されていたこと,およびヒトの確実な発生例がなかったことなどの理由によると考えられる。したがって,Q熱がわが国にあっても不思議ではない。患者や患畜があるにもかかわらず見落とされている疾患と考えられる。
1.日本の動物におけるコクシエラ症の現況
1)わが国の家畜・愛玩動物におけるC. burnetiiの抗体保有状況
1954年に大森らがWHOの依頼を受け,家畜のC. burnetiiに対するCF抗体の調査を行っている。全国46県から採血されたウシ983頭中8県に16倍陽性7例,32倍陽性3例,64倍陽性1例,計11例(1.1%)に,輸入ヤギ17頭中2例(12%)に,また輸入ラクダ5頭中3例(60%)に抗体を検出している。以後約40年間Q熱リケッチアの資料がない。最近,Yoshiieらは間接蛍光(IF)抗体法を用いて4県から採取した成牛329血清中96例(29%)に抗体を検出している。
筆者らは1989年から1990年に15県の健康な成牛2,063血清について,Nine Mile株T相菌に対するIF抗体の保有状況を調査した(表1)。抗体保有牛は調査したすべての県に認められ,陽性率は県によって異なったが(3〜72%),平均陽性率は30%であった。陽性検体608例中,高い抗体価(1,024倍以上)を保有する検体が144例に認められた。15県を地理的に3つに大別して陽性率をみると,北の県で高く,南の県で低い傾向を示した。一方,Nine Mile株U相菌に対する抗体保有状況を6県から得られた562検体について調査した。陽性牛はすべての県に認められ,県によって陽性率は異なった(5.6〜65%)。また,T相菌に対する平均陽性率は40%,U相菌に対するそれは47%を示し,TおよびU相菌に対する陽性率にはほとんど差がなかった。次に,流産や受胎遅延など繁殖障害を持つ102頭の血清について,6県から得られた健康牛562頭の血清と比較した。繁殖障害牛の陽性率はT相菌が66%,U相菌が84%を示した。繁殖障害牛に抗体陽性率が高いことはドイツでも報告されているように,Q熱リケッチアによる感染と繁殖障害との関連が示唆された。
ヒツジ血清256検体の陽性率はT相菌が18%,U相菌が28%であった。ヤギ血清85検体の陽性率はT相菌が12%,U相菌が24%であった。ブタは396頭検査したが,陽性個体は1頭も検出されなかった。イヌでは632検体中,T相菌に対しては9%,U相菌に対しては15%が陽性を示した。ネコは247頭検査したが,陽性個体は1頭も検出されなかった。
2)ウシおよびダニからのC. burnetiiの分離状況
著者らは,繁殖障害牛に抗体保有率が高いことに注目し,繁殖障害牛の生乳などから病原体の分離を試みた(表2)。繁殖障害牛の生乳224検体中36例,子宮スワブ61検体中13例,食肉衛生検査所から無作為に採取した乳房50検体中4例,原因不明の流産胎仔の脾臓4検体中2例,および2つの牧場から収集したダニ約250匹の15プール検体中4例からC. burnetiiが分離された。分離株の一部はPCR法でも陽性が確認された。また,分離株は多形性でC. burnetiiの特徴的な形態を示した。分離株のモルモットに対する病原性を発熱,脾臓と精巣の腫脹および抗体反応で調べた(表3)。分離株51株中,7株は40℃以上の高熱を示し,脾臓および精巣の重度の懐死性肉芽腫病変が全株に認められた。また,22株は微熱を示し,13株が脾腫を,また12株が精巣腫を呈した。さらに,22株は正常熱を示し,6株が脾腫を,また3株が精巣腫を呈した。このように,わが国には病原性の異なるC. burnetiiが存在することが示唆された。
2.ヒトのQ熱
先進諸国では本菌を呼吸器疾患の起因微生物の一つに加え,Q熱のサーベイランスが行われている。最近,オーストラリアでは12年間に3,868名,イギリスでは11年間に1,656名,アメリカでは28年間に1,164名,スイスでは年間30〜90名,ドイツでは年間150〜200名に発生している。また,フランスの国立リケッチアセンターの調査では人口10万当たり0.58人に急性のQ熱があると推定している。最近ヒトのQ熱は世界各地で年々増加している。これは家畜や愛玩動物などのコクシエラ症の増加によるといわれている。感染源の多くは家畜や乳肉製品などであるが,それを特定できない症例も多い。
ヒトのQ熱は主に家畜およびその関連工場での感染が最も多く,1940〜50年代に先進諸国の食肉解体処理場,羊毛処理場,乳肉加工場などで50〜328名に及ぶQ熱の爆発的集団発生が記録されている。さらに,情操教育の一環として小・中学校で飼育されるヒツジやヤギなどから児童や学生に集団発生した例も多数報告されている。最近,白血病などの悪性腫瘍患者やエイズ患者(免疫応答能の低下,いわゆるImmunocompromized host,免疫的な易感染者)などにQ熱の発病率が高い傾向があると指摘されている。
北岡は1952年WHOの依頼を受けてC. burnetiiに対するCF抗体の調査を行っている。18県から採集された食肉解体従業員および獣医師756名中3県の22名(2.9%)に,低い抗体価8〜32倍ではあるが,Q熱抗体を認めている。以後40年間Q熱の資料は空白のままになっている。最近,Yoshiieらは鹿児島県内の獣医師9名中2例(22%)にIF抗体を証明している。
筆者らはC. burnetii Nine Mile株のTおよびU相菌の精製ホルマリン死菌を用いてIFにより抗体調査を行った(表4)。一般の健康者はTおよびU相菌に対してそれぞれ3.3%が陽性であったのに対し,獣医師ではTおよびU相菌に対してそれぞれ13および23%,食鶏処理場勤務者では7.5および11%,呼吸器疾患患者では4.9および15%が陽性であった。獣医師および呼吸器疾患患者の陽性例の多くはIF抗体価256倍以上を示し,またTおよびU相菌に対するIgGおよびIgM抗体価も64倍から512倍を示した。獣医師および食鶏処理場勤務者は一般の健康者より抗体保有率が明らかに高かった。また,T相菌に対する抗体保有率よりU相菌に対するそれが高かったことは諸外国の成績と一致していた。したがって,わが国にも広くQ熱患者の発生があることが血清疫学的に推定された。最近,某県の衛生研究所において,インフルエンザ様疾患患者の急性期血清50例中3例からマウスを用いてC. burnetiiが分離されている。
最近,鹿児島大学医学部のOda and Yoshiieはカナダより帰国後に発症した医学留学生のQ熱を診断し,患者の血液からマウスを用いてC. burnetiiを分離している。彼らは病理学教室において心内膜炎と診断された剖検例および手術切除56例のうち,パラフィン包埋標本からDNAを抽出して,PCR陽性例を4例見出している。さらに,手術切除標本の病理組織切片においてリケッチア様粒子も観察し,わが国での慢性感染例の存在を示唆している。
世界各国で重要視されているQ熱はわが国には存在しないと思われていたが,C. burnetiiがわが国においても既に広範に侵淫している現況について記載した。したがって,家畜,愛玩動物,家禽などを対象とする職業従事者に,Q熱についての詳細な疫学調査が必要である。
岐阜大学農学部家畜微生物学講座
平井 克也,Khin Khin Htwe,山口 剛士,福士 秀人
表1.家畜と愛玩動物のCoxiella burnetii Nine Mile株に対する間接蛍光抗体
表2.ウシの生乳,子宮スワブ,乳房およびダニからのCoxiella burnetii分離
表3.分離株のモルモットに対する病原性
表4.ヒトのCoxiella burnetii Nine Mile株に対する間接蛍光抗体
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