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わが国のコレラ防疫対策は,伝染病予防法および「コレラ防疫対策の実施について」に基づいて実施されている。1988年10月以降はVibrio cholerae O1(コレラ菌)で,かつコレラ毒素(CT)を産生する菌のみが防疫対策の対象となった(本月報vol. 9,11参照)。
Vibrio cholerae O1
わが国におけるコレラの発生は以前は東南アジアやインド等流行地からの帰国者に限られていたが,近年は海外渡航歴のまったくない者,海外渡航者と接触のない者にもその発生をみるようになった。また,一時は消滅したと思われたコレラが,1975年以降は毎年発生するようになった(図1)。1962〜1993年に発生したコレラ総数は1,114で,輸入例792(71%),国内例322(29%)であった。同期間に3例の死亡が報告されたが,いずれも国内発生例からの報告であった。1962〜1976年に発生した輸入例86のうち85例が船舶による国内持ち込みで,1例のみが航空機によった。一方,1977〜1993年の輸入例は706を数えたが,船舶による持ち込みは1例のみで,705例はすべて航空機による輸入事例であった。国内での集団発生では1977年の和歌山県有田市における事件(101名),1978年の東京都の事件(49名),1989年の名古屋市における事件(44名),1991年の首都圏コレラ事件(22名)が注目された。いずれも海外渡航歴のない者の間に発生しており,発生原因として魚介類が疑われた事件が多かった。
1982年以降は,輸入例による集団発生の報告が相次いだ。1984年には台湾からの帰国者間に70名の集団発生があった。1985年にはインドネシアからの帰国者の間で20名の発生が報告された。インドネシアからの集団発生はその後も1991年39名,1992年8名,1993年47名と相次いだ。1990年1〜4月にはタイツアーの5団体に29名のコレラ患者が発生した。タイ旅行者間の集団発生はその後も1991年12名,1992年18名,1993年28名が報告された。図2に1991〜1993年に発生したコレラの推定感染地を示した。同期間の東南アジアでの罹患率は1991年58%,1992年65%,1993年89%と増加し,一方,国内での罹患率は1991年29%,1992年6%,1993年3%と減少した。南米帰国者の罹患率は,1991年は1%,1992年は10%であったが,これは1991年に南米で発生したコレラ流行の影響がわが国へも及んだためである。1993年は南米からの輸入は0となった。
1991〜1993年のコレラの月別発生状況を図3に示した。1991年8〜9月の山は首都圏の国内集団発生,1993年9月の山はシンガポール−バリ島ツアー参加者の集団発生によるものであった。
Vibrio cholerae O139
1992年10月インド南部のマドラス地方に端を発した新型コレラの流行は,またたくまにインド西ベンガル地方から内陸部に広がり,1993年には東南アジアでも検出されるようになった。新型コレラの原因菌はVibrio cholerae血清型O139とされた(Shimada et al., Lancet, Vol. 341, 1347, 1993)。V. cholerae O139は伝染力,コレラ毒素の産生性などにおいて従来のコレラ菌とまったく差がなく,臨床症状も従来のコレラに劣らないところから,WHOではV. cholerae O139による下痢患者および死亡事例をコレラとして扱うようになった(WHO,WER,68,20,142,1993)。わが国では本菌による下痢患者は従来通りVibrio cholerae non-O1(NAG)として扱い,コレラ患者としては計上していない。
国立予防衛生研究所では本菌の国内への侵入を監視するために,全国地方衛生研究所および検疫所に対しO139標準菌株ならびに同定用抗血清を配付し,検出の報告を受けてきた。表1は1994年4月までに報告されたV. cholerae O139情報のまとめである。1993年の3例はインド亜大陸での罹患が推定されるが,1994年の4例はいずれも東南アジアで罹患した患者から検出された。本菌の動向については今後とも引き続き監視が必要である。
図1.わが国におけるコレラ発生状況,1962〜1993年(厚生省エイズ結核感染症課)
図2.コレラの推定感染地,1991〜1993年
図3.コレラ月別発生状況,1991年1月〜1993年12月(厚生省エイズ結核感染症課)
表1.わが国で検出されたVibrio cholerae O139(1993年4月〜1994年4月)
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