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Vol.15 (1994/6[172])

<国内情報>
山梨県における日本住血吸虫症の流行状況


1881年に東山梨郡春日居村戸長より,県令に提出された『水腫腸満に関する御指揮願い』に始まった山梨県の日本住血吸虫症対策は,地元住民の献身的協力を基盤として実施された地方病予防撲滅事業の結果,1950年代には19,000ヘクタール(ha)あった有病地指定面積が,現在ではその20%の3,975haと減少した。本病の流行は1970年代にはすでに終息段階に入り,1978年以降新感染者は発見されなくなり1980年代には終息したと考えられる。そこで,本病の流行が衰退期に入ったと考えられる1960年以降の資料をもとに,山梨県における本病の現状について紹介したい。

山梨県における流行を保卵者数でみると,1944年には6,590人の保卵者が発見され猛威をふるっていたが,1950年代後半から本格的な撲滅対策がとられ始めると,1960年代には急激に低下した。1968年以降検便対象者を皮内反応検査陽性者に絞り込み,検便を塗抹法から集卵法に替えて実施した結果,一時的に保卵者数が1968年に上昇した。その後,5回繰り返し集卵法に精度を上げたにもかかわらず陽性者数は低下し,保卵者は発見されなくなった。新感染者群と考えられる低年齢層における保卵者の割合は1955年以降低下し,1966年以降保卵者の大部分が35歳以上で占められた。このような,保卵者数の低下とその年齢構成の高齢化を示した成績は,新感染者の発生がないことを示している。

 皮内反応は,既往者が陽性反応を示し累積するため,陽性率には変動はないと考えられていたが,予想に反し皮内反応陽性率は急激に低下し,陽性率は1968年の59.5%に対し,10年後の1977年には19.9%に低下した。酵素抗体法(ELISA)は皮内反応と同様に,検便対象者を選別する目的で1985年から各市町村で実施されている成人病検診の検査後の残余血清を利用して始められた。虫卵抗原に対する抗体陽性者はすべて40歳代以上の高齢者に分布し,1985年における抗体陽性者の平均年齢は60.6歳に対し,3年後の1988年では63.3歳と約3歳上昇していた。この抗体陽性者の抗体価を3年間追跡したところいずれも変動をしておらず,この検査法で検出される血中抗体は長期間持続すると考えられる。また,抗体陽性者に対する検便では保卵者は発見されていない。さらに1990年から小中高生対象の集団検診残余血清について検査を実施し,1992年まで実施した4,249名は全例陰性であった。

保虫宿主の感染状況は防疫情報上の重要な位置を占めている。感染源としては流行に大きな影響を与えたウシは健康管理が強化され,1964年に1頭の感染牛の発見を最後に検出されなくなった。イヌもまた流行の伝播者としては重要な位置を占めており,1962年の調査では35頭の感染犬が発見されたが,1971年および1976年の調査結果では,感染犬は発見されていない。従来より流行状況を知る上で重要な手掛かりとなっていた野ネズミの感染状況は,コンクリート水路化等環境変化によりミヤイリガイ生息場所での捕獲が困難となり感染状況の評価はできなくなった。このため,1981年から実験マウスをミヤイリガイ生息場所の水面に3時間暴露し(マウス浸漬法)セルカリア感染の有無により感染源の存在を調査している。1983年に1調査地点で感染マウスが発見されたが,これは極めて限られた地域での存在を捕らえたものと考えられ,流行の再発は否定された。以降,1991年まで全ミヤイリガイ生息地域で実施した調査では,感染マウスは発見されていない。

 ミヤイリガイのセルカリアの寄生状況は,生息調査を目的に毎年地域住民によって採集された約30,000個以上のミヤイリガイを対象とし,圧潰法により検査している。寄生状況は,1971年までは保卵者の検出数と並行して低下した。1972年,釜無川の河川敷内に大量の感染貝が発見されて再流行が懸念されたが,野ネズミを保虫宿主とした発生にとどまり,周辺の住民に対して感染することなく1977年に住宅地造成のための埋め立てによって貝は消滅した。以降,全生息地域での感染貝の発生はみられておらず,中間宿主の面よりも安全が確認されている。しかし,新感染者が既に15年来発見されず流行が終息したと予測される現在でも,本病の撲滅事業として大量の薬剤をミヤイリガイ生息地に散布しており,生物環境への影響が懸念される。

以上述べたように,1904年に甲府市近郊のネコの体内から世界で初めて虫体が発見されて90年後,山梨県を最後に日本では日本住血吸虫症の流行は終息したと考えられる。本病は中国,フィリピン等東南アジアに,近種の病気はアフリカ,中南米に広く蔓延しており関係者の奮起が望まれる。



参考文献

山梨地方病撲滅協会:地方病とのたたかい(1977,1981)

山梨県厚生部健康増進課資料(1982−1992)

山梨県衛生公害研究所年報(1982−1992)



 編集子:わが国における日本住血吸虫症の流行地は本報告にみられる山梨県以外に利根川流域,静岡県富士川流域,広島県−岡山県芦田川流域,そして九州筑後川流域で猖獗を極めていたが,第二次世界大戦後の撲滅対策によって富士川ならびに芦田川流域からはいち早く姿を消し,利根川流域も一時期(1971年)若干の感染者をみたものの撲滅され,さらに筑後川流域では7年10ヵ月にわたる伝播者ミヤイリガイの発見がなく,調査を行った保虫宿主もすべて陰性となったことから,1990年3月に安全宣言が出されるに至り,本報告と併せて,わが国での本症流行は終焉したものと考えられる。



山梨県衛生公害研究所 薬袋 勝,梶原 徳昭


 山梨県日本住血吸虫流行地における検査成績





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