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Vol.15 (1994/12[178])

<国内情報>
北海道で発生したダニ脳炎と考えられる1例


 1993年10月27日,北海道函館市近郊で,発熱,髄膜刺激症状,全身痙攣,意識障害等の脳炎症状を呈する患者が発生した。髄液検査では,無菌性髄膜炎の所見であり,HSVによる脳炎を想定してアシクロビールの投与と対症療法が施された。幸い11月中旬には運動麻痺などの後遺症を残したものの一命はとりとめた。この間,病原ウイルスの検索が行われたが,HSVに対する抗体は結局陰性であった。一方,除外診断のために行われた急性期血清と回復期血清の抗日本脳炎ウイルスHI抗体検査では8倍という有意の上昇を示し,後日MRIで日脳感染でよく見られる両側視床,黒質の病変を認めた。しかし,日本脳炎非流行地の函館で,しかも媒介蚊の活動しない10月末に日脳患者が発生することは極めて考えにくく,また2ME感受性のHI抗体が陰性(次ページ表1)であったことなど日本脳炎の新鮮感染としては合致しないこともあったため,血清,髄液は長崎大学熱帯医学研究所でより詳細な抗体検査に供された。

 その結果は次ページ表1の通りである。すなわち,日本脳炎ウイルスに対するELISA抗体(IgG)は,1,600倍から16,000倍へ上昇していたにもかかわらず,IgM-Capture ELISA法においてすら抗日脳IgM抗体は証明できず,日脳ウイルス中和抗体も有意の上昇を認めなかった。これらの結果から,患者は日本脳炎ではない他のフラビウイルス脳炎に罹患していた可能性が考えられた。そこで,日本においてかつて分離されたことのある2つのフラビウイルス(Negishi, Apoiの両ウイルス)とロシア春夏脳炎(RSSE)ウイルスに対する中和抗体の検査を行った。

 その結果は次ページ表1のごとくである。すなわち,RSSEに対する中和抗体が最も高く上昇し,Negishiウイルスに対する中和抗体も軽度上昇していた。この結果から,患者は日本脳炎ではなくRSSEもしくはそれに極めて近縁なダニ脳炎ウイルスに罹患していたことが明らかになった。さらに,患者には海外渡航歴はなく,北海道内においてこの脳炎ウイルスに感染したと考えられた。この症例が8月の九州地域において発生していたならば,おそらく日本脳炎の1症例として処理されていたに違いない。

 以上の結果は我々に種々の問題点を提起している。すなわち,1)日脳の血清学的診断にはHI抗体価の上昇のみでなく,2ME感受性抗体もしくはIgM-ELISA等により抗日脳IgMを証明する必要があること。2)少なくとも北海道においては日本脳炎ウイルス,Negishiウイルス,Apoiウイルス以外のフラビウイルスが存在している。それはRSSEか,またはそれに極めて近縁のウイルスであり,ヒトに病原性がある。

 今のところ起因ウイルスを分離していないので起因ウイルスに関するこれ以上の推測は困難であるが,近年の冷戦構造の崩壊により,函館市や日本海沿岸の諸都市にはロシアからの貨物船の往来も多く,もしこのウイルスが新たにロシアから日本にやってきたRSSEであるならば,今後防疫を含め,重大な公衆衛生上の問題である。あるいはまた,このウイルスは北海道に土着している未知のフラビウイルスである可能性も十分にある。いずれにしても早急にこのウイルスを分離し,同定することが望まれる。現在,北海道大学獣医学部の高島博士との共同で疫学調査が進行中である。

 謝辞:Apoiウイルス,Negishiウイルス株は国立予防衛生研究所ウイルス第一部・北野博士より分与を受けた。



長崎大学熱帯医学研究所ウイルス学部門 森田 公一,五十嵐 章
函館医師会病院内科 佐藤 達郎,竹澤 周子


表1 血清・髄液の抗体検査結果





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