|
インフルエンザ脳症に関しては,患者自身のうがい液からウイルスが分離されても,脳神経症状との因果関係は依然として謎のまま残されていた。1994/95インフルエンザシーズンも予想通りA香港型とB型ウイルスによる混合流行であったが,心配されたのは再び脳症多発の報告であった。ちなみに,長崎大学小児科で扱った脳症は11例,その中で4名が死亡,2名が脳死状態という悲惨なものであった。
同じ流行シーズンの1995年2月1日,北海道の千歳市立病院小児科に2歳と3歳の子供が入院,脳症と肝機能障害の検査結果が記録されて間もなく,その日の14時半に突然死という状態で息をひきとった。同症例の髄液,脊髄,肝臓等におよぶ全臓器が当研究室に送られてきた。担当医師の武越靖郎小児科部長は,前に腎臓内にB型肝炎ウイルスを発見したという臨床ウイルス学にも造詣が深く,すでに,腎臓内にインフルエンザウイルス様粒子を電子顕微鏡で撮影していた。
そこで,当研究室ではまず髄液の検査をRT-PCR法で実施した。インフルエンザA型ウイルスの核蛋白遺伝子に対応できるプライマーで,髄液中に700塩基対のDNAが合成された。さらに,HA遺伝子に対するプライマーは,A香港型のゲノムを特定した。髄液中に検出されたこのゲノム情報は,脳症で死亡したこの2歳の患児の脳組織内へのA香港型ウイルスの侵入と増殖を推理させるのに十分な根拠を持つものであった。
これにつぎ,脊髄,肝,腎,心臓等の凍結切片を作り,免疫染色法によってウイルス抗原の検出を試みることにした。結果は,脊髄を始めとする上記臓器中に明瞭なウイルス抗原が確認され,本患児はA香港型の感染を受け,Pantropic(全身感染型)の性質を獲得した流行ウイルスによるものであると判定された。
また,重度の肝機能障害を示す血清生化学検査の結果は,肝細胞の壊死と同細胞内におけるウイルス抗原の検出結果と符号するものであった。
以上の初めての知見は,インフルエンザ被害が異質な方向へも変化する可能性を示唆するものであり,若齢層の脳症および肝障害にも注目すべきことを示している。
予研ウイルス第一部呼吸器系ウイルス室
|