The Topic of This Month Vol.18 No.6(No.208)
厚生省感染症サーベイランス事業では、約 500の病院定点が無菌性髄膜炎患者発生状況を毎月報告するとともに検査材料を採取し、地方衛生研究所(地研)が髄膜炎の病原体サーベイランスのため、ウイルス分離同定を行って、その結果を病原微生物検出情報に報告している。
無菌性髄膜炎の患者は例年夏を中心に増加し、その病原体としてエコーウイルス(E)、コクサッキーB群(CB)ウイルスなどのエンテロウイルスが分離されるが、各年に分離される主な血清型は入れ替わっている(図1)。これまでにエンテロウイルスの動向を監視することによって、1989〜1991年にE30が全国的な大流行を起こしたこと(本月報Vol.12、No.8、Vol.13、No.8参照)や、E30(1983年)(本月報Vol.4、 No.10参照)、E6(1985年)(本月報Vol.7、No.7参照)、E7(1986年)(本月報Vol.8、No.1参照)が急増して突発型の流行を起こしたことが明らかとなっている。
1996年の無菌性髄膜炎患者報告数は 1,519人(一定点医療機関当たり2.98人)で、1995年の 1,619人(同3.14人)を下回り過去最低であった。患者の年齢は0〜4歳44%、5〜9歳38%、10〜14歳11%、15歳以上 7.6%で、0歳の割合(18%)が前年同様大きかった(図2)。
1996年は髄膜炎患者 296例からのウイルス分離が報告されている(1997年5月20日現在報告数)。例年と異なり、1996年は特定の血清型のエンテロウイルスの大きな流行がなかったため 100を超える型はみられず(図1)、E7が67(23%)、CB4が42(14%)であった(表1)。1995年に髄膜炎患者からの分離報告が多かったCB5( 269→26)、 CB3(80→5)は減少した( 本月報Vol.17、No.3参照)。
E7は1995年夏以降、10月まで増加が続いていたため(図3)、その動向に注目していたところ(本月報Vol.17、No.3参照)、1996年も7月をピークに23機関から226の分離が報告された。1995年は中国・四国、九州からの報告が多かったのに対し、1996年は近畿(本月報Vol.17、No.11参照)、東海からの報告が多かった(表2)。これに対し、 CB4は報告総数では1996年に分離されたエンテロウイルス中最も多く、 319の報告が全国(37機関)からあった(表2)。
エンテロウイルスによる髄膜炎の場合と異なり、ムンプス髄膜炎の場合は臨床診断のみで病原を推定するため、髄膜炎患者からのムンプスウイルス分離報告は少ない。1996年の報告数は40(14%)で、例年同様であった(表1、本月報Vol.15、No.9参照)。
図4にE7、CB4、ムンプスウイルスが分離された小児の年齢および乳児の月齢を示した。1996年の CB4分離例では、髄膜炎は0歳が多いのに対し1〜2歳が少なく、さらに0歳の月齢を詳しくみると、0〜1カ月の割合が多く、2カ月以上は少ない。このパターンは1995年に分離報告が多かった CB5も同様で(本月報Vol.17、No.3参照)、CBの特徴である(本月報Vol.16、No.8参照)。これとは対照的にムンプスウイルス分離例では0歳が少なかった。
上記の他に、報告数は少なかったが、1996年に地研の病原体サーベイランスによって分離された髄膜炎関連ウイルスについて注目されるものを以下に述べる。大阪ではエンテロウイルス流行季をはずれた3月にE4による局地的な髄膜炎の流行がみられ、小学校の学校閉鎖・学級閉鎖があった(本月報Vol.17、No.6参照)。また、1988年以降8年間報告がなかったE20が和歌山で 6(うち0、7、8歳の髄膜炎患者から3)(本月報Vol.18、No.1参照)、1991年以降5年間報告がなかったE21が島根などで6(うち7、9歳の髄膜炎患者から2)分離されている(本月報Vol.18、No.2参照)。
エンテロウイルスサーベイランスを実施する上で、血清型別用抗血清は不可欠である。市販されている抗血清の不十分な点を補う目的で、国立感染症研究所と地研がエコ−ウイルス同定用抗血清プールを作製、試用している(本月報Vol.18、No.3参照)。