百日咳は百日咳菌(Bordetella pertussis )の気道感染によって引き起こされる急性呼吸器感染症である。百日咳菌は患者の上気道分泌物の直接接触や飛沫により感染し、麻疹ウイルスと並び高い感染力を有する。百日咳対策にはワクチンによる予防が最も効果的であり、ワクチンの普及により世界の百日咳患者数は激減した。わが国では1981年に現行の沈降精製ジフテリア・百日せき・破傷風三種混合ワクチン(DPT)が導入され、その後、患者数は着実に減少した(1982〜2004年の状況はIASR 18: 101-102, 1997; IASR 26: 61-62, 2005)。しかし、近年、ワクチン効果が減弱した青年・成人も百日咳に罹患することが明らかとなり、新たな対策が必要となっている。
患者発生状況:百日咳は感染症発生動向調査における小児科定点把握の5類感染症であり、全国約3,000の定点から毎週患者数が報告される。年間患者報告数は2001〜2004年に引き続き、2005〜2007年も定点当たり1.00未満と、1982〜1983年の約10分の1に減少しているが(図4)、周期的な流行の痕跡をまだ認めることができる(図1)。百日咳は約4年周期の流行を繰り返すことが知られており、1999〜2000、2004、2007年は流行周期に該当する。なお、2007年の患者報告数は2004年を上回っており(図4)患者増加傾向は年末以降も継続しているため(図1)、2008年の発生動向には注意が必要である。
都道府県別患者発生状況をみると、定点当たりの患者報告数が2.00以上を示したのは栃木県と千葉県のみであった(図2)。2004、2007年にはわずかな流行が認められ、患者報告数が1.00以上を示した都道府県は2004年が13県、2007年が13府県であった。一方、2003、2005、2006年において患者報告数が1.00以上を示した都道府県はそれぞれ5、3、4県のみであったことから、周期的な百日咳流行は全国レベルで発生するものと推察される。
集団感染:わが国では、百日咳集団感染は産科や小児科病棟などで散見されていたが(IASR 26: 64-66, 2005)、大規模な集団感染の報告はなかった。しかし、2007年に大学などで大規模な集団感染が発生した(本号4ページ、6ページ、7ページ参照)。大学では感染者が200名を超える大規模な集団感染事例にまで発展し、その対策には抗菌薬の投与(予防投薬を含む)、休講などの措置がとられた。2007年の集団感染事例は狭い空間を長時間共有するような施設で発生しており、このような施設では百日咳が容易に伝播することが指摘された。なお、集団感染を引き起こした百日咳流行株は各事例で異なることが判明し、各地域に潜在する百日咳菌が各々の地域で流行した可能性が指摘されている(本号3ページ参照)。
成人百日咳:米国では1980年代後半からワクチン効果が減弱した青年・成人層での罹患者が増加し(IASR 26: 69-70, 2005)、2004年における成人患者は全体の27%となっている。わが国でも同様な現象が認められ、特に成人患者が2007年には前年の倍以上となった(図3)。しかし、0〜3歳児における患者報告数に著しい増加は認められず、ワクチン接種による免疫効果が十分に発揮されているといえる。1982〜2007年における患者年齢分布をみると、成人患者の割合は2002年から明らかに増加し、2007年では全患者の31%を占めている(図4)。ただし、わが国の百日咳患者は小児科定点より報告されているため、報告されない成人患者はかなりの数に上るものと考えられる。
成人患者の臨床像:乳幼児の百日咳診断は、長期間持続する咳、スタッカート、レプリーゼや、末梢血リンパ球の増多などを指標に行われている。一方、成人患者は長期の咳または発作性の咳だけのことが多く、リンパ球増多はほとんど認められないため、他の疾患との鑑別が困難である。このことが成人集団発生の探知が遅れる原因となっている。現在、厚生労働科学研究班では成人の臨床像などについて調査を進めている(本号11ページ参照)。
成人患者の実験室診断:百日咳の実験室診断には、菌培養検査、血清学的検査、遺伝子検査が挙げられる。成人患者は保菌量が少ないため、高感度な遺伝子検査が有効である。ただし、一般的に行われているのは血清学的検査であり、主に菌体に対する凝集素価が測定されている。乳幼児では菌凝集素価を指標に診断されているものの、それが成人に適用できるかは不明であり、今後の調査研究が必要である。なお、国立感染症研究所ではloop-mediated isothermal amplification (LAMP)を用いた遺伝子検査キットを全国の百日咳レファレンスセンター(IASR 29: 42, 2008)に配布し、検査体制の強化・拡充を図っている(本号9ページ参照)。
今後の課題:百日せきワクチンによる免疫効果は5〜10年程度と見積もられており、ワクチン既接種の成人も百日咳に対する感受性者である。成人が感染した場合、症状は軽く、脳症などの重症例や死亡例はきわめて稀である。しかし、成人が百日咳菌を保菌した場合、本人が気づかないうちに乳幼児への感染源となることを考慮しなくてはならない。ワクチン未接種児が百日咳菌に感染した場合、重篤化し易く、わが国でも死亡事例はいまだに認められている。米国では新たな百日咳対策として2005年に成人用ジフテリア・百日せき・破傷風ワクチン(Tdap)の導入を認可したが、わが国ではいまのところ未定である。現在、厚生労働科学研究班において、その導入の是非について科学的根拠を集積しているところである。
百日咳は小児科定点把握疾患のため、成人患者数を正確に知ることは難しい状況にある(本号10ページ参照)。成人を含む患者発生動向を正確に知るためには、今後、全数把握疾患への移行が必要であろう。なお、厚生労働科学研究班では、定点把握では不十分と考えられた情報を補完し、迅速な対応に結びつけることを目的に「百日咳発生データベース」の準備を進めている。
おわりに:2007年に発生したわが国初の成人集団感染事例は、成人百日咳への新たな対応策の必要性を認識させるものであった。これら成人集団感染の直接的な要因は不明であり、今後も発生する可能性は否定できない。百日咳集団発生の防止には、発症者の早期探知と迅速対応が有効であり、百日咳サーベイランスならびに検査体制の強化が重要である。また、抜本的な対策としては、現行百日せきワクチンの接種プログラムを再評価し、青年・成人層へのワクチン接種についても検討する必要があろう。