10年前の1994年11月に、寄生虫病予防法(1931年4月制定)が廃止された。この法律が対象とした寄生虫とは、回虫、鉤(こう)虫、肝吸(かんきゅう)虫および日本住血吸虫の4種の寄生蠕(ぜん)虫であった。「寄生蠕虫」とは単細胞性の寄生虫(原虫)と区別して多細胞性の寄生虫を指す場合に用いられる。
回虫と鉤虫は、感染者の糞便とともに外界に排出された虫卵が食品を外から汚染して感染源となっていた。肥料として屎尿(しにょう)を用いていた時代には、虫卵や孵化した感染幼虫による生野菜や、それを用いた漬け物等への汚染を避けることは困難であった。特に第二次大戦直後の混乱期における回虫の寄生率は、農村、都会の区別なく50〜80%にのぼっていた。その後、国をあげての学校保健や地域保健を介した検便と集団駆虫の実施、屎尿処理施設の整備などの予防対策が積極的に行われた。そして、化学肥料の普及とも相まって1960年代後半には国内での回虫・鉤虫感染者は激減し、現在では極めて稀になっている。
一方、肝吸虫は、モツゴ、タナゴといった淡水産のいわゆる雑魚の生食によって媒介されていたもので、その流行地は全国各地に存在した。しかしながら、第一中間宿主の淡水産貝が環境の変化によって激減したこと等によって、日本国内では肝吸虫の生活環そのものが次第に消滅しつつある。
多様化する食品媒介寄生蠕虫症:このように寄生虫予防法が対象とした寄生蠕虫症の国内での発生は極めて稀になったが、本法廃止以前からこれらとは別種の食品媒介寄生蠕虫症の発生が注目されるようになっていた。わが国での食品媒介寄生蠕虫症の発生は、魚介類・獣肉の「生(なま)食」「生(なま)もの嗜好」という食習慣と密接な関連を持っている。また、日本の経済成長と物流の飛躍的発達によって、過去には特定の地方にのみ限局していたものが全国に広がったとみられる。さらに、食品の保存技術の発達と国際的な食品の流通による食材の多様化につれて、原因となる寄生蠕虫の種類は明らかに多くなっており、20種類を超えている。1960年代以後の日本において、特定の食品との関連で新しくヒトへの感染例が報告された事例には次のものがある(IDWR 2000年第44週号http://idsc.nih.go.jp/kanja/idwr/idwr2000-44.pdf参照)。
アニサキス症:海産魚類やイカの生食が原因となるが、わが国では1964年に第1例が報告され、以後全国的に多数の患者発生があることが明らかにされた。日本人の食習慣から見て、本症は昔からあった病気と考えられる。しかし、急性腹症の原因としてアニサキスとその近縁種が同定されたのはこの時代で、その後、内視鏡下での生検鉗子による虫体摘出が可能となり、診断と治療が比較的容易に行われるようになった(IDWR 2001年第5週号http://idsc.nih.go.jp/kansen/k01_g1/k01_05/k01_5.html参照)。最近、埼玉県の市場検査室の調査により、輸入アンコウの肝臓から高率にアニサキス等の幼虫が検出されている(本号5ページ参照)。また、アニサキス症は、虫体由来の抗原に対する「アニサキス・アレルギー症」として理解できることが報告されている(本号6ページ参照)。
棘口吸虫(きょくこうきゅうちゅう)症:1970年以降、料理店で提供するドジョウの生食により発生した。
広東住血線虫症:1970年までに台湾を経由して日本列島へと分布を広げた広東住血線虫は、当初、沖縄において中間宿主であるアフリカマイマイやナメクジの生食による患者発生を引き起こしたが、1970年代後半からは本土にも患者発生地域を拡げていった。2000年には、沖縄で中間宿主の摂食歴がなく、感染幼虫に汚染された野菜等を介しての感染が疑われる患者の集団発生があり、その原因について調査が行われた(本号7ページ参照)。
肺吸虫症:1971年以降、サワガニの生食または不完全加熱調理による宮崎肺吸虫の感染例が発生している。また、1975年以降、イノシシ肉生食によるウェステルマン肺吸虫の感染例が知られるようになった。さらに、最近になって、在日の外国人(韓国人、タイ人、中国人など)が自国固有の食習慣を日本国内へ持ち込むことによって肺吸虫症に罹患した事例が報告されている(本号8ページ参照)。
旋毛虫(せんもうちゅう)症:1974年以降、青森、北海道、三重でクマ肉の生食による患者が発生した。最近、ケニアへ旅行した日本人が旋毛虫に感染したと見られる事例が報告されている(感染症学雑誌Vol.78, 第78回日本感染症学会総会抄録p.100)。
フィリピン毛細虫(もうさいちゅう)症:1982年以降、4例の報告があり感染経路は不明であるが淡水魚の生食が疑われている。フィリピンでは死亡例がある。
顎口虫(がっこうちゅう)症:従来は雷魚の生食による有棘(ゆうきょく)顎口虫感染が知られていたが、1970年に輸入ドジョウ生食による剛棘(ごうきょく)顎口虫、1988年に国産ドジョウ生食による日本顎口虫と、ヤマメの生食によるドロレス顎口虫の感染例が報告された。
旋尾線虫(せんびせんちゅう)症:1980年代後半から、ホタルイカの生食を原因として全国的に発生している。本症は旋尾線虫X型幼虫を原因とし、本来の宿主ではないヒトの腸管から幼虫が侵入することによって、腸閉塞や皮膚爬行(はこう)症を引き起こす。ホタルイカは元来限られた産地でのみ賞味されていたが、近年の運搬技術の進歩により、生きたままの遠隔地輸送が可能となったことが背景にある(本号3ページおよびIDWR 2001年第14週号 http://idsc.nih.go.jp/kansen/k01_g1/k01_14/k01_14.html参照)。
「食中毒」として対策が必要な食品媒介寄生蠕虫:1997年9月、厚生省(当時)食品衛生調査会食中毒部会食中毒サーベイランス分科会において食品媒介の寄生虫疾患対策に関する検討が行われた。イ)全国的に発生が多いもの、あるいは近年増加傾向にあるもの、ロ)海外での発生が多く、日本での増加が懸念されるもの、ハ)発生は少数であるが重篤な健康被害を生ずる恐れのあるもの、という三つの条件を考慮し、次の10種類が特に対策が必要な寄生蠕虫として挙げられた(http://www1.mhlw.go.jp/houdou/0909/h0917-1.html)。
(1)生鮮魚介類により感染するもの:アニサキス、旋尾線虫、裂頭(れっとう)条虫、大複殖門(だいふくしょくもん)条虫、横川吸虫、顎口虫
(2)その他の食品(獣生肉等)により感染するもの:肺吸虫、マンソン孤虫、有鉤嚢(ゆうこうのう)虫、旋毛虫
そして、これらの食品媒介寄生蠕虫への対策として(1)国民および関係者への安全な喫食方法についての普及啓発、(2)食品からの寄生虫検出法の確立、(3)寄生虫の知識や食品からの検査法に関する研修の実施、(4)国内外での食品の寄生虫汚染の実態および当該疾患の発生状況についての情報把握、が挙げられた。
「食中毒」としての届け出が必要:1999年末に食品衛生法施行規則の一部改正が行われた(平成11年厚生省令第105号)。これに伴い、食中毒統計作成要領も一部改正され、「原虫および寄生虫による飲食に起因する健康被害についても食中毒としての取り扱いを明確にするため」、食中毒事件票における食中毒病因物質の分類『その他』の欄について「クリプトスポリジウム、サイクロスポラ、アニサキス等」が例示された(平成11年12月28日付衛食第 166号、衛乳第 248号、衛化第66号、厚生省生活衛生局食品保健課長、乳肉衛生課長、食品化学課長通知 http://www1.mhlw.go.jp/topics/syokueihou/tp1228-1_13.html)。しかしながら、最近の食中毒統計を見ると、寄生蠕虫による食中毒の発生事例は極めて少数に留まっている(表1)。これは、アニサキス等寄生蠕虫類による健康被害を「食中毒」として届け出る必要性が、医療・公衆衛生担当者にいまだ認識されていないことを示している。全国的なアニサキス症のアンケート調査等からは、少なくとも年間2,000人以上の患者が発生していると推定されている(石倉 肇、日本における寄生虫学の研究Vol.7、pp.439〜464, 1999)。この機会に、アニサキス等の寄生蠕虫による「食中毒」が疑われる場合は、診断後24時間以内に最寄りの保健所への届け出が必要であることを改めて指摘しておきたい。
旋尾線虫症の予防対策:わが国で発生した新しい食品媒介寄生蠕虫症である旋尾線虫症は、感染源が概してホタルイカに限定されている。ホタルイカ生食による患者の発生報告は1987年からであるが、1994年にマスメディアがホタルイカ生食の危険性を大きく報じ、それを受けた生産者が冷凍処理のうえで出荷したことで一時期患者の減少傾向が認められた。しかしその後、再び増加してきたため(本月報Vol.21, p.118参照)、厚生省は2000年に「生食用ホタルイカの取り扱いについて」(平成12年6月21日付衛食第110号、衛乳第125号、厚生省生活衛生局食品保健課長、乳肉衛生課長通知)を発出し、冷凍処理(−30℃4日間以上、もしくはそれと同等以上の殺虫能力を有する条件)などの予防対策を示した(http://www.n-shokuei.jp/tsuchi/000621-110.html)。
1995〜2003年の9年間に旋尾線虫症の抗体検査を行っている4研究機関に検査依頼があった旋尾線虫症疑い症例は159例にのぼる(うち陽性33例) (本号3ページ参照)。また、2000〜2004年に市販生ホタルイカについて、旋尾線虫X型幼虫の保有状況を調査した結果では、5年間の幼虫の平均検出率は4.3%であり、検出された部位は内臓部が76%、胴部が14%、頭腕部が10%と、内臓以外の部位からも検出されている(本号4ページ参照)。
例年3月〜6月は、本症の発生シーズンである。販売者側と消費者側との両方へ、ホタルイカの安全な供給方法と喫食方法について普及啓発を行い、本症の発生を予防することが重要である。